シーボルト事件(読み)しーぼるとじけん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シーボルト事件」の意味・わかりやすい解説

シーボルト事件
しーぼるとじけん

江戸後期、ドイツ人医師シーボルトの国外追放事件。1828年(文政11)9月、オランダ商館付医官シーボルトが任期を終えて帰国しようとした際に、たまたま起こった暴風雨のために乗船が難破し、積み荷が調べられた。そのオランダへ持ち帰る荷物のうちに、伊能忠敬(いのうただたか)作成の日本地図など多くの禁制品のあることが発覚して、事件が起こった。取調べは江戸と長崎で行われて長引き、シーボルトはおよそ1年間出島(でじま)に拘禁され、29年9月25日(陽暦10月22日)「日本御構(おかまえ)」(追放)の判決を受け、同年12月日本より追放された。この事件に連座した日本人は、江戸では書物奉行(ぶぎょう)兼天文方高橋作左衛門景保(かげやす)(入牢(にゅうろう)、吟味中病死)、奥医師土生玄碩(はぶげんせき)(家禄(かろく)・屋敷没収)、長崎屋源右衛門など。長崎では門人二宮敬作高良斎(こうりょうさい)、出島絵師川原登与助(とよすけ)(川原慶賀(けいが))はじめ、通詞(つうじ)の馬場為八郎吉雄(よしお)忠次郎、稲部市五郎、堀儀左衛門、末永甚左衛門、岩瀬弥右衛門(やえもん)、同弥七郎から召使いに至るまで五十数人の多数に上った。

[片桐一男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シーボルト事件」の意味・わかりやすい解説

シーボルト事件
シーボルトじけん

オランダ商館付医官 P.シーボルトが文政 11 (1828) 年帰国に際し,当時,国禁であった日本地図 (幕府天文方高橋景保が伊能忠敬のつくった日本および蝦夷の地図を写して贈った) などの国外持出しをはかり,シーボルト以下,多くの幕吏鳴滝塾門下生が処罰された事件。文政 11年8月9日の暴風で稲佐のなぎさに座礁した『コルネリス・ハルトマン』号の修理のために降ろした積荷から発覚し,11月 10日商館長メイランを通じて地図そのほか 26点の品を押収,たびたび尋問の末,シーボルトは翌 12年9月 25日長崎奉行より国禁 (国外追放) を受け 12月5日,日本を去った。また高橋景保は同 11年 10月 10日に検挙され,翌 12年2月 16日に獄死したが,死骸を塩漬にされ,同 13年3月 26日死刑の判決を受け,その家族,部下,通詞,医師四十数名が遠島以下諸種の処分を受けた。幕府は,これを機会として,より一層洋学者の行動をきびしく監視するようになった。

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