20世紀日本人名事典 「土肥樵石」の解説 土肥 樵石ドヒ ショウセキ 明治・大正期の書家 生年天保12年10月11日(1841年) 没年大正4(1915)年9月24日 出生地肥後国熊本(熊本県) 本名土肥 直康(ドヒ ナオヤス) 経歴もと肥後熊本藩士で、幼名は章之進、のち直康に改める。幼少より藩校・時習館に入り、のち和田耕雲・元田永孚に学び、欧陽詢・懐素石の書を私淑して遂に一家を成す。のち元田の招きで上京、宮内庁に入り、華族女学校(のちの学習院)の書道教師を務めた。草書・仮名に優れた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「土肥樵石」の解説 土肥樵石 どひ-しょうせき 1841-1915 明治-大正時代の書家。天保(てんぽう)12年10月11日生まれ。土肥春曙(しゅんしょ)の父。もと肥後熊本藩士。和田耕雲,元田永孚(もとだ-ながざね)にまなぶ。のち元田の招きで上京,宮内省にはいり,華族女学校(現学習院)の書道教師をつとめた。草書,かなにすぐれた。大正4年9月24日死去。75歳。幼名は章之進。名は直康(なおやす)。通称は宇宙。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by