地吉村(読み)じよしむら

日本歴史地名大系 「地吉村」の解説

地吉村
じよしむら

[現在地名]豊田町大字地吉

木屋こや川の上流に位置する山村。北を俵山たわらやま(現長門市)、南を大河内おおかわち村、西を西にし山山系を境に稲見いなみ村、東を今出いまで村と接し、村内を萩から赤間関あかまがせき(現下関市)に至る赤間関街道(北道筋)が南北に貫通。萩藩領で前大津宰判所属。

地名の由来を「地下上申」は「往古深山にて御座候処に、其節御田地開き見候へば、土地宜に付地吉と申出し」とする。

地吉の名は慶長五年(一六〇〇)検地帳にみえるのが早いが、同一五年の検地帳では地吉村と大河内村が合石されて記される(→大河内村。「地下上申」で地吉村は初めて独立村として高付され、総石高五三〇石余、家数八二、人口四二八人。

当村の特産品の地吉紙は、三椏・楮の繊維を採り糊で固めた非常に丈夫な紙である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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