地御前村
じごぜんむら
[現在地名]廿日市町地御前・地御前一―五丁目・阿品台一―五丁目・阿品台東・阿品台北・阿品台西
宮内村の南東に位置し、東と南は瀬戸内海に面し、海岸砂州平野に開けた農漁村。西は大野村(現大野町)。「国郡志下調書出帳」に「当村名往古者合ノ浦と相唱へ候由申伝へ、外宮社御鎮座ニ付地ノ御前と相唱へ、依而村名ヲ得候由」とある。合ノ浦の名は神社に饗物としての魚介類を供する「饗ノ浦」、あるいは古語で塩魚類を総称する合物を出す「合ノ浦」などによるものであろう。その後厳島神社外宮社が地方にあることから「地ノ御前」とよばれ、村名となったと考えられる。古代は種篦郷(和名抄)、中世は平良庄、あるいは宮内庄に属し厳島社神領であった。
今川了俊の「道ゆきぶり」(応安四年)に、「此佐西を出て、地の御前といふ社の西ひがたより山路に入ほどに、おほの山中といふ所に来りぬ」とみえる「地の御前」は社名であるが、周防秋穂八幡宮旧記(現山口県吉敷郡秋穂町の秋穂正八幡宮蔵)の応仁元年(一四六七)の記事に「曾木者地御前ニテ請取之」とあり、地名として記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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