日本歴史地名大系 「地神社」の解説 地神社ちぎじんじや 京都府:綴喜郡田辺町上村地神社[現在地名]田辺町普賢寺古代寺院普賢(ふげん)寺の後身と伝える観音寺本堂西側に隣接した小丘上の字匙(さじ)ヶ谷(たに)にある。祭神は大国主(おおくにぬし)命・大山祇(おおやまつみ)命・活気長足比売(おきながたらしひめ)命。旧村社。「延喜式」神名帳の綴喜(つづき)郡にみえる「地祇神社」に比定される。九条家本は「チノキ」とか「クニツヤシロ」、金剛寺本は「チノキ」と訓じる。渡会延経の「神名帳考証」は「クニカミ」、「特選神名牒」や「京都府地誌」は「クニツカミ」とし、「田辺町史」は「クニツ」として「くにつじんじゃ」としている。社伝ではもと観音寺の北東の山手にあったが、天文年間(一五三二―五五)に現在地に移したという。所伝を近世に図示したと考えられる筒城郷朱智荘佐賀荘両惣図(田辺町史)には「大御堂」(観音寺)の北に「大講堂」があり、そのまた北に「普賢教寺」と記され、この東隣に南北に並んで二社が記される。北は「御霊社」とあり、南は「地主社」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by