地黄陣屋跡(読み)じおうじんやあと

日本歴史地名大系 「地黄陣屋跡」の解説

地黄陣屋跡
じおうじんやあと

[現在地名]能勢町地黄

塚脇の機姫つかわきのはたひめ社跡に接続した所にある。関ヶ原の戦や大坂の陣で徳川方で戦功をたて、のち旗本となる能勢頼次は、慶長五年(一六〇〇)能勢郡内の旧領を復した後、新城築造にとりかかる。これまで能勢氏のいた地黄じおう西方の旧丸山まるやま城から石材などを移し、奉行を山田彦右衛門として、元和元年(一六一五)秋には完成し陣屋とした(寛政三年「能勢家由来旧記書抜」能多家文書)。その敷地は東西三七間四分・南北四九間一分、面積六反余(大阪府全志)。また新城築城と同時に町割をし、城下町を作った。これは旧丸山城下の市場を移したもので、きた町・なか町・みなみ町の三ヵ町とした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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