坂田一男(読み)サカタ カズオ

20世紀日本人名事典 「坂田一男」の解説

坂田 一男
サカタ カズオ

大正・昭和期の洋画家



生年
明治22(1889)年8月22日

没年
昭和31(1956)年5月28日

出生地
岡山県岡山市船頭町

学歴〔年〕
県立岡山中学校〔明治41年〕卒

経歴
高等学校入試に失敗、療養中に絵に親しんで大正3年上京、本郷絵画研究所、川端画学校油絵を学んだ。10年フランス留学、オトン・フリエスに師事、フェルナン・レジェの研究所でキュビズムを学び、サロン・ドートンヌなどに出品、サロン・デ・チュイルリー、サロン・デ・ザンデパンダンの会員となった。昭和8年帰国し、郷里岡山で制作に励み、戦後24年アバン・ギャルド・オカヤマを結成した。「キュビズム的人物像1」「女と植木鉢」「端午」「コンポジション」などが代表作。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「坂田一男」の意味・わかりやすい解説

坂田一男
さかたかずお
(1889―1956)

洋画家。明治22年8月22日岡山市に生まれる。1914年(大正3)上京、川端画学校ほかで藤島武二(たけじ)に師事。21年パリに留学、オトン・フリエス、ついでフェルナン・レジェの研究所に学び、キュビスムの分析と構成画法を追求した。サロン・ドートンヌに出品、サロン・デ・チュイルリー会員となる。33年(昭和8)帰国し、以後郷里にあって画壇外で『端午(たんご)』『コンポジション』ほか、キュビスムから独自の抽象へと画業を発展させた。昭和31年5月28日没。翌年ブリヂストン美術館での遺作展によって世に知られた異色画家である。

[小倉忠夫]

『小倉忠夫編『宿命の抽象画家 坂田一男』(1966・美術出版社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「坂田一男」の解説

坂田一男 さかた-かずお

1889-1956 大正-昭和時代の洋画家。
明治22年8月22日生まれ。川端画学校などで油絵をまなぶ。大正10年フランスにわたりレジェに師事。昭和8年帰国後は画壇をはなれ,キュビスムから独自の抽象画にすすんだ。遺作展で世に知られる。昭和31年5月28日死去。66歳。岡山県出身。作品に「キュビズム的人間像I」「端午」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「坂田一男」の解説

坂田 一男 (さかた かずお)

生年月日:1889年8月22日
大正時代;昭和時代の洋画家
1956年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の坂田一男の言及

【キュビスム】より

抽象芸術 日本におけるキュビスムの受容は1915年ごろに始まり,東郷青児,万鉄五郎らの作品にまずその反映がうかがえる。20年代に入ると,矢部友衛,古賀春江,黒田重太郎,川口軌外,坂田一男と,なんらかの形でキュビスムあるいはそれに類する様式を取り入れる画家はその数を増し,ひとつの流行の観を呈した。しかし彼らはキュビスムと未来派,あるいはキュビスムから派生したピュリスムや抽象的傾向を厳密に識別していたわけではなく,またそれぞれの理念を理解していたわけでもなかった。…

※「坂田一男」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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