端午(読み)たんご

百科事典マイペディア「端午」の解説

端午【たんご】

5月5日の節供。邪気を払うと称してショウブやヨモギを軒にさし,菖蒲(しょうぶ)湯に入り,(ちまき)や柏餅(かしわもち)を食べる。雛(ひな)の節供に対してこれを男の子の節供とし,武具,甲冑(かっちゅう),武者人形などを飾り,庭前には鯉幟(こいのぼり)や吹流しを立てて祝う。この日競馬(くらべうま),流鏑馬(やぶさめ),印地打(いんじうち)(石合戦),凧(たこ)上げなど武張った勇ましい行事が多く行われる。→こどもの日
→関連項目柏餅金太郎屈原鍾馗ちまき(粽)雛祭武者人形

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル大辞泉「端午」の解説

たん‐ご【端午/端五】

五節句の一。5月5日の節句。もと中国の行事。軒に菖蒲しょうぶよもぎを挿し、ちまき柏餅を食べて邪気をはらう。近世以降、男児のいる家では鯉幟こいのぼりを立て、甲冑かっちゅうや武者人形を飾って祝うようになった。現在は、「こどもの日」として国民の祝日になっている。端午の節句重五ちょうご端陽 夏》「二人子を預けて病める―かな/波郷

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

世界大百科事典 第2版「端午」の解説

たんご【端午】

中国にはじまり,朝鮮,日本でも行われる旧暦5月5日の節供。
[中国]
 蒲節節,蘭節などともいう。〈端〉は〈初〉の意味で,元来は月の最初のの日をいった。十二支を正月とする夏暦では,5月は午の月にあたり,〈午〉が〈五〉に通じることや陽数の重なりを重んじたことなどから,3世紀,・晋以後,5月5日をとくに〈重五〉〈重午〉〈端陽〉などと呼び,この日に各種の祭礼を行うようになった。旧暦5月は高温多湿の盛夏であり,伝染病毒虫がはなはだしく,悪月とされた。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

普及版 字通「端午」の解説

【端午】たんご

五月の節句。〔楚歳時記〕五五日、之れを浴と謂ふ。四民竝びにの戲り。(よもぎ)をりて以て人を爲(つく)り、の上に懸け、以て毒氣を禳(はら)ふ。を以て~に泛ぶ。〔杜公瞻注〕今、之れを浴と謂ふ。之れを端午と謂ふ。

字通「端」の項目を見る

出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報

世界大百科事典内の端午の言及

【薬猟】より

…翌年には羽田(奈良県高市郡高取町羽内(ほうち)付近),668年(天智7)には蒲生野(がもうの)(滋賀県近江八幡市から八日市市にかけての一帯)で薬猟が行われている。中国では《荆楚歳時記》によると,6世紀中葉ころ,揚子江中流域で,5月5日の端午の節句(夏至に近い)に,毒気を避けるため,香りの高いショウブやヨモギ,種々の薬草を摘む習俗があった。日本古代の薬猟は,百済を経由して伝えられたこの古代中国の民間習俗と,高句麗の宮廷で3月3日に行われていた鹿狩りの風習が併せて取り入れられ,推古朝に宮廷行事として成立したらしい。…

【鍾馗】より

…これは〈打夜胡〉〈跳鍾馗〉といい,清代まで残った。清代中ごろから端午にも鍾馗像を掛けるようになり,それが江戸時代の日本の武者人形に取り入れられた。鍾馗を魔除けとあがめる信仰は唐以前より存在し,南北朝時代,後魏の尭暄(ぎようけん)が本名を鍾葵(しようき),字を辟邪(へきじや)といった例や,あやかって鍾葵,鍾馗の名をつけた人物が多いことから,すでに六朝時代に鍾馗と辟邪との関連があったと思われる。…

【ショウブ】より

…昔話の〈食わず女房〉や〈蛇婿入り〉譚(たん)には,五月節供にショウブやヨモギを使う由来譚が伴っている。【飯島 吉晴】 中国では,日本において,その形状と芳香から,主として陰暦5月5日の端午節に邪気を払う呪物(じゆぶつ)とされた。〈水剣草〉の別名もあるように,葉が剣に似ているため,これを門に挿し,またヨモギを鞭(むち)に見立てて,ともに悪鬼を撃つの象とし,〈蒲剣蓬鞭〉と称した。…

※「端午」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

半夏生

半夏ともいう。七十二候の一つで,本来は夏至後 10日目から小暑の前日までをいったが,現行暦では太陽の黄経が 100°に達する日 (7月1日か2日) を半夏生とし,雑節の一つとして記載している。この頃半...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android