坂野辺新田村(読み)さかのべしんでんむら

日本歴史地名大系 「坂野辺新田村」の解説

坂野辺新田村
さかのべしんでんむら

[現在地名]酒田市坂野辺新田・京田きようでん錦町にしきちよう

宮野浦みやのうら村の南、黒森くろもり村の北にあり、最上川と京田川下流左岸に位置する。広岡新田ひろおかしんでん村の佐藤太郎右衛門が宮野浦村までの植林を計画したが、途中にある坂野辺山は広岡新田村から遠いため、宝暦一二年(一七六三)同地の谷地・田畑を預って人家を建て植林したい旨を願出て許された。太郎右衛門は翌一三年より黒森村の移住者をもって一村となし、坂野辺新田村と称した。同一四年の検地では高二二石余、家数三一(明和六年「京田通浜山植付并坂野辺新田開発之次第覚書」佐藤文書)。京田通と中川なかがわ通の地内であったことから、同年の検地帳(同文書)では京田通坂野辺新田村として下田一町余・分米一一石二斗余、中川通横山よこやま(現東田川郡三川町)枝郷分七反余・分米七石八斗余、中川通押切新田おしきりしんでん(現同上)枝郷分二反余・分米二石七斗余となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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