坊ヶ峰新田(読み)ぼうがみねしんでん

日本歴史地名大系 「坊ヶ峰新田」の解説

坊ヶ峰新田
ぼうがみねしんでん

[現在地名]境川村ぼうみね

境川左岸、曾根そね丘陵東端部に位置する。対岸三椚みつくぬぎ村・石橋いしばし村、北西の平坦地は上曾根村・白井河原しらいがわら(現中道町)南東藤垈ふじぬた村。地内の坊ヶ峰は曾根丘陵東端部で最も高い(甲斐国志)。永正五年(一五〇八)武田信虎と叔父油川信恵が戦い信虎方の勝利に終わるが(勝山記)、当地が戦場であったと伝える(同書)。宝永三年(一七〇六)石橋村が、坊ヶ峰は藤垈村内であるが、石橋村名主半左衛門の先祖が山年貢籾一斗余の請所とし、諸役とも五斗余を藤垈村を通じて上納してきたと主張し、石橋村の本年貢として上納したいと願出た。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

乞巧奠〈公事十二ケ月絵巻〉〘 名詞 〙 陰暦七月七日の行事。乞巧は技工、芸能の上達を願う祭。もと中国の行事であるが、日本でも奈良時代以来、宮中の節会(せちえ)としてとり入れられ、在来の棚機津女(たなば...

乞巧奠の用語解説を読む