垣倉村(読み)かいぐらむら

日本歴史地名大系 「垣倉村」の解説

垣倉村
かいぐらむら

[現在地名]吉備町垣倉

しよう村の西方有田川の南岸に近接して位置する。中世石垣いしがき庄に含まれたか。「続風土記」は「此地古よりもしくは公文所ありて、荘中の義倉なとありけむより、石垣の義倉の意にて垣倉とはいへるなるへし」と記す。慶長検地高目録には「垣蔵かいくら村」とみえ、村高三四四石余、小物成九斗三升五合。慶長六年(一六〇一)の垣蔵村御検地帳写(川口家文書)によれば家数三七、蜜柑木一五本があった。安永二年(一七七三)には家数五九、うち本役一三、半役一五、無役二五、大庄屋庄屋肝煎・行力各一、寺二で、人数は三五三(男一九三・女一六〇)であった(御霊村郷土誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む