精選版 日本国語大辞典 「平等寺」の意味・読み・例文・類語 びょうどう‐じビャウドウ‥【平等寺】 京都市下京区因幡堂町にある真言宗智山派の寺。山号は福聚山。長保五年(一〇〇三)橘行平が自宅を寺としたもの。本尊の薬師如来立像は因幡国で行平が海中から引き上げたといわれ、善光寺の阿彌陀如来像、清凉寺(釈迦堂)の釈迦如来立像とともに日本三如来の一つ。因幡堂。因幡薬師。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
日本歴史地名大系 「平等寺」の解説 平等寺びようどうじ 徳島県:阿南市北荒田野村平等寺[現在地名]阿南市新野町 秋山桑野(くわの)川左岸の山麓にある。白水山と号し、高野山真言宗。本尊は薬師如来。四国霊場八十八ヵ所の第二二番札所。御詠歌は「平等に隔てのなきときく時ハあら頼もしきほとけとぞ見ゆ」。往昔は七堂伽藍を有し支院一二ヵ寺を擁したが、天正年中(一五七三―九二)兵火にかかり焼失したという(阿波志)。太龍(たいりゆう)寺と薬王(やくおう)寺(現日和佐町)の中間に位置し当地で一泊する遍路が多かったので、門前は遍路宿などで賑わう町並であったが、今では往時の景観が失われている。年月日未詳の播磨国等永代檀那書立写(熊野那智大社文書)に平島(ひらじま)(現那賀川町)の長福(ちようふく)寺と並記され、本銭返田合せて二五貫五〇〇文、葛奥知行先達三人と記される。 平等寺びようどうじ 広島県:庄原市川手村平等寺[現在地名]庄原市川手町 小坂谷もと小坂(おおさか)谷奥の小坂山にあったが、明治三二年(一八九九)現在地に移転した。医王山と号し臨済宗南禅寺派、本尊薬師如来。「芸藩通志」には「文和年間首藤通資造立、後かの家の祈願所となり、文禄二年癸巳、同広通再造すといふ」と、文和年間(一三五二―五六)山内通資創建と記す。しかし寛文八年(一六六八)の備後平等寺薬師堂再興勧進帳控(山内首藤家文書)によれば、文禄二年(一五九三)に「広通公之草創」と記し、本尊の薬師医王善逝瑠璃光如来像は行基の作で、山内氏の祖俊通が尊崇していたものを、入部の時に通資が関東より持参したもので、山内家の守仏であったとする。 平等寺びようどうじ 新潟県:東蒲原郡三川村岩谷村平等寺[現在地名]三川村岩津阿賀野川北岸の岩谷(いわや)集落の北にある。曹洞宗、岩谷山と号し、本尊は薬師如来・地蔵菩薩。「会津旧事雑考」にひく勧進帳によれば、大同元年(八〇六)に平維茂が阿賀野川の龍口という所で薬師如来尊を拾い奉安したのを開基とするが、年代的にあわず、一一世紀の初め頃の開基とする(阿賀の里)。永正一四年(一五一七)に僧永源が再興した(前掲勧進帳)。薬師堂(国指定重要文化財)は越後国最古の木造建築物で室町時代の建造物。正面三間・側面四間の単層妻入建築である。堂内の柱・梁・嵌板に墨書が残り、永禄年間(一五五八―七〇)・天正年間(一五七三―九二)の墨書は会津と越後の戦に関係したものである。 平等寺びようどうじ 石川県:鳳至郡柳田村寺分村平等寺[現在地名]柳田村寺分寺分(てらぶん)集落背後に南面してあり、南西に隣接して日吉神社がある。和住山と号し、高野山真言宗。本尊聖観音。貞享二年寺社由緒書上によれば、開基は不明だが、山王権現を氏神として勧請、寺院六坊・寺領もあったが退転、観応元年(一三五〇)再興したという。その後再び退転、天正一一年(一五八三)応清が再興。もと上町の和住(かんまちのわずみ)にあったが、上杉勢の攻撃により現在地に移転したという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
デジタル大辞泉プラス 「平等寺」の解説 平等寺〔徳島県〕 徳島県阿南市にある寺院。高野山真言宗。山号は白水山、院号は医王院。弘法大師(空海)の創建と伝わる。本尊は薬師如来。境内の井戸水は大師が杖で掘りあてたものとされ、霊水として信仰されている。四国八十八ヶ所霊場第22番札所。 平等寺〔新潟県〕 新潟県東蒲原郡阿賀町にある寺院。995年建立と伝わる。室町時代後期に建てられた薬師堂は国の重要文化財に指定されている。 出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報 Sponserd by
事典・日本の観光資源 「平等寺」の解説 平等寺(第22番) (徳島県阿南市)「四国八十八箇所」指定の観光名所。 出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の平等寺の言及 【因幡薬師】より …京都市下京区にある真言宗の寺。俗に因幡堂,正称は福聚山平等寺。鎌倉期作の《因幡堂縁起絵巻》によると,因幡の国司橘行平が海中から薬師像を感得し,帰洛後の1003年(長保5)邸内に安置したことに始まると伝える(因幡氏)。… ※「平等寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by