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城戸千楯 きど ちたて

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美術人名辞典の解説

城戸千楯

江戸後期の歌人。名は範次。京都の書林紙魚蛭子屋市右衛門本居宣長の門。弘化2年(1845)歿、68才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

城戸千楯 きど-ちたて

1778-1845 江戸時代後期の国学者。
安永7年生まれ。京都室町錦小路で書籍商蛭子屋(えびすや)をいとなむ。本居宣長(もとおり-のりなが),荒木田久老(ひさおゆ)にまなぶ。文化13年鐸舎(ぬでのや)をひらいて研究の場とし,京都での鈴屋(すずのや)門の中心となった。弘化(こうか)2年9月21日死去。68歳。本姓は大江。初名は経正。通称は市右衛門。号は紙魚室(しみむろ),曙廼舎主人。著作に「万那備能(まなびの)広道」「和歌ふるの山ふみ」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

城戸千楯

没年:弘化2.9.21(1845.10.21)
生年:安永7(1778)
江戸後期の本屋,国学者。名を経正,範次,通称を万次郎,市右衛門といい,屋号は恵比須(蛭子)屋。紙魚室,鐸舎などを号とした。恵比須屋は,寛政年間(1789~1801)から文久に至るまで,千楯とその子千屯によって営まれた書肆で,京都錦小路室町にあった。千楯は,寛政9(1797)年から本居宣長に入門,文化11(1814)年以降,鐸舎と号する講舎に国学生を募り,講義や歌会を開き,盟友の藤井高尚らと共に京都に宣長学の拠点を作り上げた。鐸舎は,公家の威力が強い京にあって,地下町人や祠官を中心とする高度な学術団体にまで発展した。文政末年から次第に衰え,嘉永年中(1848~54)に閉門したとされる。世話人の千楯は,講義の教鞭を執るほど学殖豊かであったらしいが,一方,その統率力と,一門の著書編著を出版し弘布し得る立場も大きな貢献であったといえる。<著作>『紙魚室雑記』(全2巻),『和歌ふるの山ふみ』(全4巻)等<参考文献>藤井芙紗子「藤井高尚と鐸屋」(『国語国文』46巻12号),宗政五十緒「恵比須屋市右衛門―国学者城戸千楯」(『近世京都出版文化の研究』)

(ロバート・キャンベル)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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