朝日日本歴史人物事典 「城戸千楯」の解説
城戸千楯
生年:安永7(1778)
江戸後期の本屋,国学者。名を経正,範次,通称を万次郎,市右衛門といい,屋号は恵比須(蛭子)屋。紙魚室,鐸舎などを号とした。恵比須屋は,寛政年間(1789~1801)から文久に至るまで,千楯とその子千屯によって営まれた書肆で,京都錦小路室町にあった。千楯は,寛政9(1797)年から本居宣長に入門,文化11(1814)年以降,鐸舎と号する講舎に国学生を募り,講義や歌会を開き,盟友の藤井高尚らと共に京都に宣長学の拠点を作り上げた。鐸舎は,公家の威力が強い京にあって,地下町人や祠官を中心とする高度な学術団体にまで発展した。文政末年から次第に衰え,嘉永年中(1848~54)に閉門したとされる。世話人の千楯は,講義の教鞭を執るほど学殖豊かであったらしいが,一方,その統率力と,一門の著書編著を出版し弘布し得る立場も大きな貢献であったといえる。<著作>『紙魚室雑記』(全2巻),『和歌ふるの山ふみ』(全4巻)等<参考文献>藤井芙紗子「藤井高尚と鐸屋」(『国語国文』46巻12号),宗政五十緒「恵比須屋市右衛門―国学者城戸千楯」(『近世京都出版文化の研究』)
(ロバート・キャンベル)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報