堀名銀山(読み)ほりめぎんざん

日本歴史地名大系 「堀名銀山」の解説

堀名銀山
ほりめぎんざん

[現在地名]勝山市荒土町〈堀名・中清水〉

水無みずなし山南端の斜面、および麓の堀名中清水ほりめなかしみず村にあった銀山。貞享二年(一六八五)越前国絵図に「銀山跡」とある。富田礼彦の「公私日次記」(岐阜県高山市富田家蔵)によると、嘉永六年(一八五三)に村の弥平が銀山を見つけて試掘、彼を草分けとし、その後大野城下の中屋文右衛門が弥平の捨てた淘粕砂から精銀を内々に稼いでいたという。

安政六年(一八五九)五月、飛騨郡代増田作右衛門は高山銀絞吹所事業の一環として江戸勘定所へ堀名分百姓持山銀山の試掘願を出した。その結果、銀絞吹所取締役の中島清左衛門、飛州銅鉛山取締役の車屋文七を稼人として試掘を始めた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む