江戸期の城。島根県松江市殿町(とのまち)にあり、千鳥(ちどり)城ともよばれる。関ヶ原の戦いの軍功により、堀尾吉晴(ほりおよしはる)は、出雲(いずも)、隠岐(おき)24万石の領主として初め富田(とだ)城に入ったが、政治上、軍事上の利点から、国の中央部で、交通の便もよい松江の地を新城地として選んだ。城は宍道(しんじ)湖の水を引いて堀とし、亀田(かめだ)山を利用した平山城(ひらやまじろ)である。1607年(慶長12)着工し、11年にいちおうの完成をみた。亀田山山頂を本丸とし、その南に二の丸、さらに堀を隔てて南に三の丸を設け、ここに居館があった。五層六階の天守閣(国宝)は現存し、黒の下見板(したみいた)張りで、しかも望楼式の古い様式をとどめている。堀尾氏3代、京極(きょうごく)氏1代を経て、1638年(寛永15)からは松平氏が世襲して幕末に至った。
[小和田哲男 2018年12月13日]
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島根県松江市にあった中世~近世の平山城。1611年(慶長16)堀尾吉晴が月山(がっさん)城(富田(とだ)城)を廃して近世的な城を築いた。34年(寛永11)京極氏,38年松平氏が城主となり幕末に至る。典型的な織豊系城郭で,総石垣で固められ外枡形(そとますがた)を備えた。本丸は天守周辺以外にすべて多聞櫓(たもんやぐら)を巡らし厳重な構(かまえ)であった。三の丸は後に政庁がおかれたが,本丸は馬出しとして機能した。天守閣は重文。国史跡。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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