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松江城 まつえじょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

松江城
まつえじょう

島根県松江市にある平山城。別名は千鳥城。慶長12(1607)年堀尾吉晴築城に着手し,同 16年完成。縄張り曲輪,堀などの配置)をしたのは小瀬甫庵という説もある。のち長く松平氏居城宍道湖に臨む亀田山の丘陵に壕をめぐらし,地下 1階,四重 5階の望楼風の素朴な天守閣を中心に本丸二の丸三の丸を擁し,6基の櫓(やぐら)をもつ。豪壮な石垣は往時を偲ばせる。2015年,天守閣が国宝に指定された。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

松江城

1611(慶長16)年、堀尾氏によって亀田山に築かれた平山城。全国に残る12天守の一つで、文化庁の目録によると、平面規模は姫路城に次ぐ2番目、四重五階の天守高22.43メートルは3番目、築城は5番目に古い。三角屋根の破風の雄姿から別名・千鳥城とも呼ばれる。近年の研究で、一部に月山富田城安来市)の部材が転用されたことが裏付けられた。

(2015-05-16 朝日新聞 朝刊 島根・1地方)

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デジタル大辞泉の解説

まつえ‐じょう〔‐ジヤウ〕【松江城】

島根県松江市にある城。慶長16年(1611)堀尾吉晴が築城。のち、京極氏・松平氏の居城。現存の天守閣は国宝で、下見板張りの古い様式をとどめる。千鳥城。

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百科事典マイペディアの解説

松江城【まつえじょう】

島根県松江市街北西部,亀田山を最高点とする平山城(国指定史跡)。千鳥城とも。松江藩の居城。堀尾吉晴が1607年に築城,天守は1611年完成したとみられ,入口に櫓(やぐら)をつけただけの単純な構成で実戦本位の独立天守。
→関連項目松江[市]

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大辞林 第三版の解説

まつえじょう【松江城】

1611年、出雲・隠岐おきの国主堀尾吉晴が宍道湖しんじこ畔に築いた平山城。38年、松平直政(家康の孫)が出雲に封ぜられてから維新に至るまで、雲州松平氏の居城であった。

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日本の城がわかる事典の解説

まつえじょう【松江城】

島根県松江市殿町にあった平山城(ひらやまじろ)。江戸時代初期に幕府の山陰側の拠点として築かれた城。国指定史跡。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。関ヶ原の戦いの戦功により出雲・隠岐24万石を封じられた堀尾吉晴(ほりおよしはる)は、月山富田城(がっさんとだじょう)(安来市)に入城したが、軍事・経済の中心に適さないとして、1607年(慶長7)に松江の亀田山に築城を開始した。松江城が完成したのは1611年(慶長16)、5層六重の天守閣を中心に6基の櫓(やぐら)を構えた近世城郭である。天守の鉄砲狭間(てっぽうはざま)、軒裏の石落とし、地階には籠城用の大井戸や兵糧蔵など、実戦を想定して築城されたことが随所にみられる。堀尾氏は3代忠晴に世継ぎがなく途絶え、京極忠高(きょうごくただたか)が入城したが嫡子がなく断絶。1638年(寛永15)信州松本から松平直政(まつだいらなおまさ)が入封し、以来松平氏が10代230年、明治維新まで続いた。1875年(明治8)有志らの奔走で天守閣は解体を免れたが、それ以外は取り払われてしまった。現存する天守閣の中で、姫路城、松本城、松江城だけが5層の天守閣を持っている。旧態をよく残し、山陰地方における代表的な近世城郭として国史跡に指定され、天守閣は国の重要文化財に指定された。天守、石垣、土塁(どるい)、櫓台、堀などの遺構が整備され、発掘調査などをもとに2001年(平成13)、南櫓、中櫓、太鼓櫓が復元された。JR山陰本線松江駅からバスで県庁前下車、徒歩10分。◇千鳥城とも呼ばれる。

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国指定史跡ガイドの解説

まつえじょう【松江城】


島根県松江市殿町にある平山城跡。別名、千鳥(ちどり)城。松江市街の北部、宍道(しんじ)湖北側湖畔の亀田山に築かれ、城の周りを囲む堀川は宍道湖とつながり、南に流れる大橋川を外堀とする。江戸時代初期建造の天守は、外観4重、内部は5階で地下があり、3重目の南北面に入り母屋屋根の出窓がある。山陰地方の現存例としては唯一で、重要文化財に指定されている。城地は東西が約360m、南北が約560mあり、周囲に幅20~30mの内堀がめぐっている。亀田山頂上部に本丸を置き、天守は本丸の東北隅に築かれ、二の丸は本丸の南側に一段低く隣接し、城山の南には藩主の御殿があった三の丸がある。1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いで東軍に与(くみ)して武功を立てた堀尾吉晴が、徳川家康から出雲24万石に転封され、あしかけ5年の歳月をかけて1611年(慶長16)、城は竣工した。1638年(寛永15)、松平直政が18万6000石で入封し、江戸時代には出雲地方の政治・経済の中心となった。明治初頭の廃城令により、天守以外の建物はすべて撤去された。1934年(昭和9)に国の史跡に指定。1960年(昭和35)以来、本丸一ノ門、三の丸と二の丸をつなぐ御廊下橋(千鳥橋)、北惣門橋、二の丸南櫓(やぐら)、塀などが復元されている。JR山陰本線松江駅からレイクラインバス「松江城(大手前)」下車、徒歩すぐ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

松江城
まつえじょう

江戸期の城。島根県松江市殿町(とのまち)にあり、千鳥(ちどり)城ともよばれる。関ヶ原の戦いの軍功により、堀尾吉晴(ほりおよしはる)は、出雲(いずも)、隠岐(おき)24万石の領主として初め富田(とだ)城に入ったが、政治上、軍事上の利点から、国の中央部で、交通の便もよい松江の地を新城地として選んだ。城は宍道(しんじ)湖の水を引いて堀とし、亀田(かめだ)山を利用した平山城(ひらやまじろ)である。1607年(慶長12)着工し、11年にいちおうの完成をみた。亀田山山頂を本丸とし、その南に二の丸、さらに堀を隔てて南に三の丸を設け、ここに居館があった。五層六階の天守閣は現存し、黒の下見板(したみいた)張りで、しかも望楼式の古い様式をとどめている。堀尾氏3代、京極(きょうごく)氏1代を経て、1638年(寛永15)からは松平氏が世襲して幕末に至った。[小和田哲男]

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