堀尾忠氏(読み)ほりお ただうじ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「堀尾忠氏」の解説

堀尾忠氏 ほりお-ただうじ

1577-1604 織豊-江戸時代前期の大名
天正(てんしょう)5年生まれ。堀尾吉晴の子。徳川家康につかえ,美濃(みの)(岐阜県)川越合戦,関ケ原の戦い武功をたてる。慶長5年出雲(いずも)松江藩主堀尾家初代。24万石。居城富田(とだ)から松江にうつすことを父と計画したが,新城着工前の慶長9年8月4日死去。28歳。幼名弥助

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の堀尾忠氏の言及

【堀尾氏】より

…室町~江戸初期の武家。高階(たかしな)氏の支族。高階泰経(やすつね)の曾孫邦経以来尾張丹羽郡に勢力を扶植し,その4代の孫忠泰が初めて堀尾を称したという。忠泰4代の孫泰政のとき織田信長の父信秀に仕え,その子泰晴は信長に従って活躍した。泰晴の子堀尾吉晴は豊臣秀吉の家臣として多くの戦いに従軍,1590年(天正18)浜松12万石を与えられた。1600年(慶長5)関ヶ原の戦ののち隠退,子忠氏が出雲・隠岐24万石を領したが,忠氏は4年後に死去。…

※「堀尾忠氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android