朝日日本歴史人物事典 「堀忠俊」の解説
堀忠俊
生年:慶長1(1596)
江戸初期の越後国(新潟県)福島藩主。幼名吉五郎。秀治の長子。慶長11(1606)年,11歳で遺領45万石を継ぎ,松平の称号を受け,越後守を称し,忠俊を名乗る。12年春日山城(上越市中屋敷)から福島城(同市港町)に移る。若年のため,執政堀直政が政務を担当,13年直政没後は,その子直次と直次の異母弟の直寄がこれに代わった。しかし,両者の間に争いが起こり,直寄の訴えを受けた駿府の徳川家康は,直次を非として,15年山形城主最上義光に預ける。直次に擁せられた忠俊も改易,所領没収となり,岩城平(福島県)城主鳥居忠政に預けられた。
(横山昭男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報