コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

平藩 たいらはん

3件 の用語解説(平藩の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

平藩
たいらはん

磐城平藩ともいう。江戸時代陸奥国 (福島県) 磐城郡におかれた藩。慶長6 (1601) 年岩城貞隆 12万石が転出のあと鳥居忠政 10万石が下総 (千葉県) 矢作より転入,その後出羽 (山形県) 山形へ転出し,内藤政長7万石が上総 (千葉県) 佐貫より転入,その後日向 (宮崎県) 延岡へ転出。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

平藩【たいらはん】

磐城平藩

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

平藩
たいらはん

陸奥(むつ)国磐城(いわき)平(福島県いわき市)地方を領有した譜代(ふだい)藩。初め岩城(いわき)氏の領有で、1594年(文禄3)佐竹氏が総検地を実施、12万4650石となったが、1600年(慶長5)関ヶ原の戦いの際徳川氏に加わらず翌年除封。かわって関ヶ原の戦いで伏見(ふしみ)城防戦で戦死した鳥居元忠の子忠政が下総(しもうさ)国矢作(やはぎ)(千葉市)から10万石(のち12万石)で加増転封し、ここに譜代の平藩が成立した。入封後、鳥居氏は平城の修築、町割(まちわり)の整備と、さらに1608年領内に総検地を施行し、新田649町余を開いた。総検地で確定した村高は、この後1647年(正保4)幕府の郷帳の基準高となった。22年(元和8)忠政は出羽(でわ)国山形へ転封、新たに上総(かずさ)国(千葉県)佐貫(さぬき)から内藤政長が7万石(実高9万石)で入封した。2代忠興(ただおき)のとき38年(寛永15)総検地を行い、城下町の整備、知行(ちぎょう)制と農政の改革などを実施し、藩体制はここに確立した。
 1677年(延宝5)3代義概(よしむね)は家訓を制定したが、これを「義概家訓」といい武家の家訓として著名である。6代政樹(まさき)の代、1738年(元文3)藩の苛政(かせい)に対し、年貢減免などを要求して8万4000人からなる全藩一揆(いっき)が発生した。この一揆が要因となり、47年(延享4)内藤氏は日向(ひゅうが)国(宮崎県)延岡(のべおか)へ転封となり、この後に常陸(ひたち)国(茨城県)笠間(かさま)6万石井上正経(まさつね)が、56年(宝暦6)井上氏の転封によって美濃(みの)国(岐阜県)加納(かのう)5万石安藤信成(のぶなり)が入封、以後平藩は7代、150年間安藤氏の治世が続いた。歴代藩主のうち4代信睦(のぶゆき)は1860年(万延1)老中に昇進、公武合体を推進したが坂下門外の変で負傷、老中を罷免されて隠居後2万石に減封された。明治維新には奥羽越(おううえつ)列藩同盟に加わった。1871年(明治4)廃藩、平地方は磐城平県、平県、磐前県を経て福島県に編入された。[神彰利]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

平藩の関連キーワード磐城国小名浜磐城平城磐城陸奥国紙磐城平元文一揆内藤忠興内藤政長鍋田晶山磐城平

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

平藩の関連情報