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堀田氏 ほったうじ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

堀田氏
ほったうじ

本姓,紀氏。南北朝時代,正泰のとき,堀田氏を称したという。安土桃山時代,正利のとき初め宇喜多氏に,のち徳川家康に仕えた。子正盛のとき1万 5000石を与えられ寛永 12 (1635) 年老中となった。

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世界大百科事典 第2版の解説

ほったうじ【堀田氏】

江戸時代の譜代大名(図)。もと尾張の出身で,1602年(慶長7)正吉のとき,それまで仕えていた小早川氏が断絶して牢人となったが,05年徳川家康から番士に取り立てられた。正吉の長子正盛は3代将軍家光に小姓として仕え,のち若年寄・老中を歴任し,42年(寛永19)下総佐倉藩万石の領主となった。しかし51年(慶安4)正盛は家光に殉死し,跡を継いだ正信は60年(万治3)領地返上の上書を提出して無断で佐倉に帰城したため,所領を没収された。

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世界大百科事典内の堀田氏の言及

【佐倉惣五郎】より

…また正信の弟正盛の子孫正亮が1746年(延享3)に佐倉城主として入封して後,将門山に惣五郎をまつって口の明神と称し,1653年(承応2)8月4日に惣五郎とその男子4人が死んだとして,1752年(宝暦2)はその百回忌相当のため,口の明神を造営し,以後春秋に盛大な祭典を行った。堀田氏は百五十回忌,二百回忌の法会も営み,惣五郎の子孫に5石の田を与えたりしている。これより先,惣五という農民が冤罪で処刑されてときどき祟(たたり)をする,先の堀田氏が滅びたのもそのためだということで,その霊を慰めるために将門山に祠を建てたといわれていた。…

【佐倉藩】より

…下総国(千葉県)佐倉に藩庁を置いた藩。江戸前期には藩主の移動が激しかったが,1746年(延享3)以降は堀田氏の所領として定着した。1590年(天正18)三浦義次入封(1万石)の後,92年(文禄1)武田信吉(徳川家康の第5子,4万石),1602年(慶長7)松平忠輝(同第6子,5万石)と,佐倉の地は徳川一門の所領として重視された。…

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