朝日日本歴史人物事典 「堀達之助」の解説
堀達之助
生年:文政6.12.23(1824.1.23)
幕末の阿蘭陀通詞,英学者。諱は徳政,政徳,達之。中山作三郎5男として長崎に生まれ,堀儀左衛門の養子となる。西吉兵衛に蘭学を,独学で英語を学ぶ。弘化2(1845)年小通詞末席,同3年米国使節ビドル,嘉永6(1853)年と翌年のペリー来航時に通訳。安政2(1855)年外国文書を独断で処理したため5年間入獄。同6年蕃書調所翻訳方,辞書編纂主任,新聞翻訳。文久3(1863)年開成所教授職,慶応1(1865)年箱館奉行所通詞となり,箱館洋学所で英学教授。明治1(1868)年箱館裁判所参事席学校掛。この間に和漢洋書を収集して「函館文庫」とする。3年開拓使大主典,5年1等訳官,同年退職。吉田松陰が「通詞中の才物」と評した英学の先駆者。著訳に『大砲使用説』『英和対訳袖珍辞書』がある。<参考文献>長谷川誠一『函館英学史研究』
(向井晃)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報