辞書(読み)ジショ

デジタル大辞泉 「辞書」の意味・読み・例文・類語

じ‐しょ【辞書】

多数の語を集録し、一定の順序に配列して一つの集合体として、個々の語の意味・用法、またはその示す内容について記したもの。語のほかに接辞や連語・諺なども収める。また、語の表記単位である文字、特に漢字を登録したものも含めていう。辞書は辞典(ことばてん)・事典(ことてん)・字典(もじてん)に分類されるが、現実に刊行されている辞書の書名では、これらが明確に使い分けられているとはいえない。辞典。字書。字引じびき
パソコンの日本語入力システムワープロソフトで、入力した仮名を漢字に変換するために登録されている語・熟語・類語などのファイル。また、自動翻訳システムで、語の対応や文法などを登録しておくファイル。
先帝が新帝から贈られる太上だいじょう天皇の尊号を辞退する意を述べた書状。御奉書。御辞書。
辞表。じそ。
「このごろ大弐だいに―奉りたれば」〈栄花・見果てぬ夢〉
[類語](1辞典字引字典字書辞彙じい語典ディクショナリーレキシコン事典

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精選版 日本国語大辞典 「辞書」の意味・読み・例文・類語

じ‐しょ【辞書】

  1. 〘 名詞 〙
  2. ことばや文字をある観点から整理して排列し、その読み方、意味などを記した書物。外国語辞書・漢和辞書・国語辞書などを含めていう。国語辞書の中には、普通のもの以外に、百科辞書や地名辞書・人名辞書、また、時代・ジャンル・作品などを限ったもの、各学問分野別に専門用語を中心に集めたもの、方言・隠語・外来語など語の性質別にまとめたもの、表現表記に関するものなど、内容上多くの種類がある。辞典。字引。字書。字典。〔和蘭字彙(1855‐58)〕
    1. [初出の実例]「我母は余を活きたる辞書となさんとし」(出典:舞姫(1890)〈森鴎外〉)
  3. コンピュータの仮名漢字変換システムで、入力した仮名に対応する語句を登録しておくファイル。また、自動翻訳システムで、語と語の対応や文法などが登録されているファイル。
  4. 辞職するむねを書いて差し出す文書。辞表。じそ。
    1. [初出の実例]「然今進れる辞書非御意として」(出典:続日本後紀‐承和四年(837)一二月丁酉)
    2. 「この頃大弐辞書奉りたれば」(出典:栄花物語(1028‐92頃)見はてぬ夢)
  5. 新帝が先帝に太上(だいじょう)天皇の尊号を贈るに際し、先帝がこれを辞退する意を述べる書状。御辞書。御報書。
  6. ことばや文章。
    1. [初出の実例]「蘭学は、実事を辞書に其まま記せし者故」(出典:蘭東事始(1815)下)

じ‐そ【辞書】

  1. 〘 名詞 〙 ( 「そ」は「しょ」の直音表記 ) =じしょ(辞書)
    1. [初出の実例]「かかる程に大二のじそたびたび奉り給へば」(出典:富岡本栄花(1028‐92頃)もとのしづく)

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改訂新版 世界大百科事典 「辞書」の意味・わかりやすい解説

辞書 (じしょ)

単語を,ある基準にそって整理配列して,その表記法,発音,品詞名,語源,意味,用例,用法などをしるした書。ただし実際にはこのすべてを集成していないものがあり,また百科事典のように,単語の意味よりもむしろ事柄の内容を主としたものや,索引のように,たんに用例を示すだけのものをも含めていう場合もある。辞典,字書,字典,字引などともいう。

(1)分類配列の基準によって,(a)文字(ローマ字,漢字,仮名など)を基にして,それから発音や意味などを知りうるようにしたもの,(b)発音を基にして,それから文字や意味などを知りうるようにしたもの,(c)意味によって分類して,それから文字や発音などを知りうるようにしたもの,に大別できる。(2)見出し語と説明語とが,(a)同一の言語であるもの,(b)異なった言語であるもの(対訳辞典,方言辞典など)に二分できる。(3)収録語の性格によって,(a)普通辞典(一般辞典,一般の語を扱うもの)と(b)特殊辞典とに分かれ,さらに(b)は品詞辞典,語源辞典,古語辞典,現代語辞典,発音辞典,アクセント辞典,文法辞典,外来語辞典,標準語辞典,方言辞典,難訓辞典,類語辞典,熟語辞典など,また特殊な分野ごとに言語学辞典,文学辞典,歴史辞典,宗教辞典,地名辞典,民俗語彙(ごい),隠語辞典などがある。

文字や発音や意味や用法などが不明な場合,そのうちの一つを知るだけで,他を知るのに役だつ。自国語について知ろうとする場合,自国語に該当する外国語を知ろうとする場合,術語を詳しく知ろうとする場合,また,ある種の知識を体系的に得ようとする場合などに用いられる。また,古語の研究のために,過去の時代に編集された辞書が,当時の言語資料や文化史の資料となることが多く,また文献の索引は,古語研究の目的で用いられることが多い。

用字に漢字,平仮名,片仮名,ローマ字の4種があり,語彙の種類が豊富なので,辞書の性格は複雑である。形態の上から分類すると,(1)漢字を手がかりにして引くもの(この中には偏旁(へんぼう)や字画など漢字の形から引くもの,韻など漢字の発音から引くもの,漢字の意味によって分類したものなどがある),(2)仮名を基にして,それにあたる漢字や意味を知るもの,(3)語の意味によって分類したものなどがある。また,(4)ローマ字から引くようにしたものは,対訳辞書ばかりでなく,国語辞書にもある。現代では一般に,漢字の字形から引くものを漢和辞典と呼び,仮名・ローマ字から日本語を引くものを国語辞典と呼んでいる。

最も古く現れたのは,漢字を手がかりとして引く辞書で,これは輸入された中国の辞書を模倣することから始まり,また,そのさい音義(漢籍や仏書の注釈付要語集)や訓注(文中に語句の注釈を加えたもの)や,古訓点(漢文に付した古代の訓点)や先行の辞書などを参照することが多かった。また編者はほとんど僧か漢学者かであった。この種の辞書では,ことにその後の増補や改編が多い。仮名が発明され,発達するにつれて,12世紀ころから,仮名を基にして漢字や意味を引くものが現れた。これらはたぶん漢字や漢文(純粋の漢文も和化漢文も含む)を読解したり,それに訓点を書き加えたり,また,漢字や漢文をつづったりするために作られたものであろうが,19世紀前半までは,漢字漢文が正格の文字文章とされていたので,漢字を読み書きする辞書が,歴代の言語生活に果たした役割はひじょうに大きい。11世紀ころから,和歌や和文の語について注釈した辞書が公家や僧などによって作られるようになる。和歌や和文の用語や文法は,10世紀以来あまり変化しなかったが,口語はしだいに変化したため口語との差異が広がり,それを解釈する必要が生じたためとみられる。

 ヨーロッパ式の体裁を備えた辞書は,近世初期に日本に渡来したキリスト教宣教師たちが,布教のために作った日欧対訳辞書が最初である。以後禁教で中絶したが,幕末以後ふたたび起こり,その形式は国語辞典や漢和辞典にもとり入れられて現在に至った。以上の辞書は,いずれもその成立時代の語彙,語法,音韻,文字などの研究資料となり,また,当時の人々の文化生活を知るための好資料ともなっている。

漢字や漢文を読み書きする辞書が主であった。古くは中国から多くの辞書を輸入して使用したとみられるが,さらにすすんでこれらを要約,模倣,集成して編集したものが現れた。記録にみえる最初の辞書は,天武天皇11年(682)の成立という《新字(にいな)》44巻であるが,現存せず,内容は未詳である。8世紀(奈良時代)の成立という《楊氏漢語抄》《弁色立成》なども逸文が知られている。日本で編述した現存最古の辞書は空海の《篆隷万象名義(てんれいばんしようめいぎ)》30巻で,830年(天長7)以後の成立である。これは《玉篇》にもとづいて要約し,一部に篆書を併記してあるもので,漢字の字形から音や意味を引く辞書だが,漢文の注記だけで,和訓はない。菅原是善(これよし)(道真の父)の《東宮切韻(とうぐうせついん)》は847-850年(承和14-嘉祥3)の間に成立したといわれ,中国の14種の《切韻》を集成し,漢字を韻によって分類し,その音や意味をしるし,和訓はないようであるが,これも原本は散逸した。つづいて出たのが《新撰字鏡(しんせんじきよう)》12巻で,僧昌住の著,昌泰年間(898-901)に増補が成立した。漢字を字形によって偏旁に分類したものであるが,漢文の注のあとに,万葉仮名で和訓を書き添えてある点は現存する最古のものである。《和名類聚抄(わみようるいじゆうしよう)》(《和名抄》と略称される)は源順(みなもとのしたごう)の著で,承平年間(931-938)に醍醐天皇の皇女勤子内親王に献じられた。おもに物の名を集め,意味によって分類し,出典,発音,意味,万葉仮名による和訓などを書き加えたもので,百科辞書的な要素が濃い。権威ある辞書として広く行われ,後出の辞書に大きな影響を与えた。《類聚名義抄(るいじゆうみようぎしよう)》(《名義抄》と略称される)は,漢字の部首引き辞書で,法相宗の僧の著とみられ,1081年(永保1)以後の成立である。この辞書は先行の諸書から材料を多くとり入れており,当時の和訓の集大成の観を呈していて,古語研究資料として重視されている。

 平安時代の韻書には《東宮切韻》のほかにも《季綱切韻》《孝韻》《小切韻》などがあったようであるが,散逸した。また,院政時代には《色葉字類抄(いろはじるいしよう)》が出た。異本が多いが,3巻本(〈前田本〉〈黒川本〉など)は橘忠兼の著で,天養~治承期(1144-81)ころの間に成立したといわれている。これを増補したのが10巻本(〈学習院本〉など。《伊呂波(いろは)字類抄》と書く)であるが,3巻本の前に原撰本や2巻本があったようであり,《節用文字》《世俗字類抄》などもこの異本とみられている。この辞書は発音からそれにあてるべき漢字・漢語を求めるためのもので,第1次分類として第1音節によってイロハの47部に分け,各部をさらに意義分類してある(ヲとオとはアクセントの高低によって区別している)。

 またこの時代には和歌の学問がさかんになって,古歌の語が研究されるようになり,多くの歌論書が作られた。その中で,能因法師の《能因歌枕(うたまくら)》1巻,藤原仲実(なかざね)の《綺語(きご)抄》3巻,藤原清輔(きよすけ)の《奥儀(おうぎ)抄》3巻(天治~天養期(1124-45)ころ成立),顕昭の《袖中(しゆうちゆう)抄》20巻(文治期(1185-90)ころ成立),藤原範兼(のりかね)の《和歌童蒙(どうもう)抄》10巻(1135-55(保延1-久寿2)の間に成立)などの中には,歌語を集めて意味分類をし,それに解釈を加えた部分が含まれている。

平安時代の辞書の影響を受けながら,多くの辞書が新しく編まれた。ことにこの時期から版本の辞書もあらわれ,広く用いられるようになった。漢字・漢語に関するものとしては,まず部首引きのものに《字鏡(じきよう)》(原本は院政時代の成立か),《字鏡集》(菅原為長著。寛元期(1243-47)ころ,またはそれ以前に成立)が現れ,ついで,室町中期に《和玉篇》が出た。古写本,版本とも多種あって,《元亀字叢(げんきじそう)》《玉篇略》などの異称をもつ本もある。漢字1字ごとに,片仮名で音訓を示した平易なもので,以後広く行われた。

 韻引きのものでは,虎関師錬(こかんしれん)が《聚分韻略》を著した。嘉元4年(1306)と記した序があり,まもなく開板流布したものとみられる。漢字1字ごとに,片仮名で音訓を示したもので,中国で新たに作られ伝来した韻書(《広韻》など)の影響がみられる。これが,のちには平声,上声,去声を上中下3段に配した〈三重韻〉に改編され,大いに行われた。当時さかんになった漢詩作詩の助けのために作られたものである。作詩用には,このほかに《平他字類抄(ひようたじるいしよう)》がある。意義分類に四声・イロハの分類を加味したもので,嘉慶2年(1388)書写の奥書をもつ本が伝わっている。

 日常所用の語彙の辞書としては,まず意味分類のものに《下学(かがく)集》がある。著者は建仁寺の僧かといわれ,1444年(文安1)の成立である。このほか《頓要集》(室町初期成立),《撮壌集(さつじようしゆう)》(飯尾永祥著。1454(享徳3)成立),《類集文字抄》(室町時代に成立か。文明18年(1486)書写奥書の本がある)などがある。またイロハ引きのものに《節用集(せつようしゆう)》(〈せっちょうしゅう〉ともいう)があるが,下位分類は意味によっている。文明期(1469-87)より少し以前の成立である。異本がはなはだ多く,また古写本,古刊本も多い。このほか語源辞書の《名語記(みようごき)》10巻(経尊著。1275(建治1)成立),類書の《塵袋(ちりぶくろ)》11巻(文永~弘安期(1264-88)ころ成立か),最古の五十音引き辞書として《温故知新書(おんこちしんしよ)》(大伴広公著,1484(文明16)成立),イロハ分類だけで意味分類のない《運歩色葉集》(1548(天文17)成立)などが現れたが,これらの中で《和玉篇》《下学集》《節用集》は最も広く行われ,江戸時代におよんだ。

 和語の語釈の辞書としては,上覚の《和歌色葉》3巻(1198(建久9)成立か),順徳院の《八雲御抄(やくもみしよう)》6巻などがある。これらは和歌を読み,作るためのものであるが,中世,《源氏物語》の研究がさかんになるにつれて,《源氏物語》の語彙を分類配列して語釈を加えた辞書が現れた。長慶院の《仙源(せんげん)抄》はイロハ引き国語辞書として最古のものであり,そのほかに竺源恵梵の《類字源語抄》(1431(永享3)成立)などもある。また連歌のための辞書として,応其の《無言抄》(1580(天正8)成立),著者未詳の《匠材集》(1597(慶長2)成立)などが現れた。

 このほか,室町時代以降,ヨーロッパから来日したキリスト教宣教師たちによって出版されたものがある。日本語自体のものとしては《落葉集(らくようしゆう)》があり,漢字の部首引きの部分,音引きの部分などから成るが,所収語彙は《節用集》などと出入りが多い。また日欧対訳辞書もはじめて現れた。《日葡(につぽ)辞書》(1603,のちパジェスLéon Pagèsが《日仏辞書》に改編した),《拉葡日(らほにち)辞典》(1595・文禄4),《羅西日(らせいにち)辞典》などがあり,いずれもヨーロッパ式の体裁を整えたものである。これら〈キリシタン版〉はローマ字,表音的仮名遣い,詳しい語釈などがあるので,当時の日本語研究に有益である。

漢字の辞書としては,前の時代にできた《和玉篇》《下学集》《節用集》の類がこの時代にも増訂改編されて,多くの新しい内容の異本を生じた。このほか中国から新たに伝えられた《大広益会玉篇》《康煕(こうき)字典》などもそのままか,または加筆改編されて広く行われた。

 イロハ引きの国語辞書には,和歌連歌のために松永貞徳の《歌林樸樕(かりんぼくそく)》その他が現れ,また国学などで上古・中古の研究がさかんになるにつれ,古語を集めた辞書が作られるようになった。海北若冲(かいほくじやくちゆう)の《和訓類林》(1705(宝永2)成立),五井純禎の《源語梯(てい)》(1784・天明4),石川雅望(まさもち)の《雅言集覧》(1826(文政9)以後の刊行)などがある。《雅言集覧》は用例集に近いもので,語釈は少ない。谷川士清(ことすが)の《和訓栞(わくんのしおり)》93巻(1777(安永6)以後の刊行)は古語のほか俗語方言なども収め,五十音順であり,太田全斎の《俚言(りげん)集覧》(増補本は1900)は俗語を集めたもので,アカサ…イキシ…の順で並べてある。

 このほか特殊辞書には,語源辞書として松永貞徳の《和句解》(1662・寛文2),貝原益軒の《日本釈名》(1700・元禄13),新井白石の《東雅》(1717(享保2)成立),契沖の提唱した歴史的仮名遣いを整理増補した楫取魚彦(かとりなひこ)の《古言梯》(1764(明和1)成立),方言辞書で越谷吾山《物類称呼》5巻(1775・安永4),類書として寺島良安の《和漢三才図会(ずえ)》105巻(1712(正徳2)成立),山岡浚明の《類聚名物考》(1903-05)などがある。

ヨーロッパの辞書の影響を受けて,その体裁にならった辞書が生じた。漢字の辞書は中国の《康煕字典》が中心となり,それに字解,熟語,注釈などを漢字仮名交りでしるしたものが多く現れ,《漢和大辞典》(三省堂編集部編。1903),《詳解漢和大字典》(服部宇之吉・小柳司気太共編。1916),《大字典》(上田万年・岡田正之・飯島忠夫・栄田猛猪・飯田伝一共編。1917),《字源》(簡野道明編。1927),《新修漢和大字典》(小柳司気太編。1928),《新字鑑》(塩谷温編。1938),《大漢和辞典》13巻(諸橋轍次編。1955-60),白川静《字統》(1984)などがある。この類に属するものには,べつに検索法にくふうを加えたものもある。

 国語辞書では,維新後まもなく,文部省が木村正辞,横山由清らに編集させた《語彙》(1871-81)が中絶したのち,さらに大槻文彦に命じて編集させ,それが《言海》として刊行(1889-91)された。これが近代的体裁をそなえた国語辞書として最初のものである。山田美妙の《日本大辞書》(1892)はアクセントを注記した最初のものであり,この後,落合直文《ことばのいづみ》(1898),金沢庄三郎《辞林》(1907),上田万年・松井簡治《大日本国語辞典》(1915-28),金沢庄三郎《広辞林》(1925),大槻文彦《大言海》(1932-37),新村出《辞苑(じえん)》(1935),平凡社編《大辞典》(1934-36),金田一京助《明解国語辞典》(1943),新村出《言林》(1949),金田一京助《辞海》(1952),新村出《広辞苑》(1955),日本大辞典刊行会編《日本国語大辞典》20巻(1972-76)など,数多くの辞書があるが,この中で《大日本国語辞典》と《大言海》とは,語釈や古典の用例などが詳密であり,《大辞典》は固有名詞を含むのが特色である。

 特殊辞書では,類義語を集めた志田義秀・佐伯常麿《日本類語大辞典》(1909),広田栄太郎・鈴木棠三《類語辞典》(1955),方言では東条操《全国方言辞典》(1951)および《標準語引分類方言辞典》(1954),外来語を集めた上田万年・高楠順次郎・白鳥庫吉・村上直次郎・金沢庄三郎《日本外来語辞典》(1915),荒川惣兵衛《外来語辞典》(1941),アクセントを示した神保格・常深千里《国語発音アクセント辞典》(1932),日本放送協会編《日本語アクセント辞典》(1943),漢字の故事熟語を集めた簡野道明《故事成語大辞典》(1907),池田四郎次郎《故事熟語大辞典》(1913),隠語を集めた楳垣実《隠語辞典》(1956)などがある。このほか,ある時代,またはある種の文学作品の古語についての辞書として松岡静雄《日本古語大辞典》(1929),金田一京助《明解古語辞典》(1953),沢瀉久孝(おもだかひさたか)ほか編《時代別国語大辞典》上代編(1967),折口信夫《万葉集辞典》(1919),佐佐木信綱《万葉辞典》(1941),佐藤鶴吉《元禄文学辞典》(1928),上田万年・樋口慶千代《近松語彙》(1930)などがある。

 新語辞典の類は最近はきわめて多数刊行されている。また古語・古文学の科学的研究のために,索引もしだいに刊行された。松下大三郎《国歌大観》正続2編(1901-03,1925-26。正編は渡辺文雄と共編)は和歌の句引き索引であり,1983年から《新編国歌大観》が刊行されている。その他正宗敦夫《万葉集総索引》(1929-31),吉沢義則・木之下正雄《対校源氏物語用語索引》(1952),池田亀鑑《源氏物語大成索引編》(1953-56)のほか,《古事記》《日本書紀》《竹取物語》《宇津保物語》《紫式部日記》《更級(さらしな)日記》《栄華物語》《今昔物語集》《平家物語》《徒然草(つれづれぐさ)》などの索引が刊行されている。

 類書には《古事類苑》(1889-1914成立),物集高見《広文庫》(1916)があり,ヨーロッパ式の百科事典には,田口卯吉編《日本社会事彙》(1888-90),三省堂編《日本百科大辞典》(1908-19),平凡社編《大百科事典》(1931-35)などがあり,ほかに日本文学,国語教育,国史,仏教,民俗学などの辞典も数多い。なお対訳辞書ではヘボン編《和英語林集成》(1867)などがなかでも古いものである。
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中国の古い書誌学の用語では〈字書〉という。全体としていえば辞書類,辞典類というのが最も近い。その場合,書誌学的にまず分離しておかなければならないのは〈類書〉である。〈類書〉は〈事を類するの書,四部を兼ね収め,経に非(あら)ず史に非ず,子(し)に非ず集に非ず〉として《四庫全書総目》でもどこに所属させるべきかが論ぜられている。要は事項別事典なのだが,《佩文韻府(はいぶんいんぷ)》のような詩文用例辞典をも含む。これらは仏家の経典理解のための辞書である《一切経音義》なども同じだが,要するに,歴史的に〈字書〉とは見なされていないのである。それに,これもそうした歴史的な慣習の問題だが,そういうふうに,現在的意味で確実に辞書,辞典でありうるものを含まぬ反面,この〈字書〉という分類は,逆に現在普通にいう辞書とはやや遠いものを含むこともある。《四庫全書総目》の〈小学〉類は,第1類〈訓詁〉,第2類〈字書〉,第3類〈韻書〉の3類に分かれているが,〈字書〉というときこの第2類に含まれる(1)識字教科書としての分類語彙集=《史籀(しちゆう)篇》《蒼頡(そうけつ)篇》《急就篇》など,(2)字形によって文字を分類解説したもの=《説文解字》《字林》《玉篇》《竜龕手鏡(りようがんしゆきよう)》《類篇》《字彙》《正字通》《康煕字典》など,(3)字体についてその正俗等を規定しようとするもの=《干禄(かんろく)字書》《五経文字》《九経字様》など,等々が〈字書〉と呼ばれるほか,1類から3類まで〈小学〉類に属するもの全体を〈字書〉ということもある。〈字書〉は,したがって広狭2様の場合があることになる。

 〈小学〉類に属するものが全体として〈字書〉と呼ばれることがあるのは,〈小学〉とは現在の〈言語学〉などにほぼ相当する概念であるといっていいのだが,古代中国の学問は言語を言語として抽象的に論ずるというようなことがほとんどなく,言語の学問とは主として古典がそれによって書かれているその言語,実際には《五経》などを個々の場合についてどう読み取り,どう理解していくかということであったため,結果としてそれは,古典読解のためのマニュアルといった形を取ることになる,つまり〈字書〉的なものに自然なっていくためであった。

 こうした広い意味での〈字書〉,また《四庫全書総目》での下位分類としての〈字書〉,いずれの場合でもことさらに〈字〉書という言い方で〈字〉を表面に出してくるのは,中国語の意味や音(おん)の単位が普通ただ一つの音節,いわゆる単音節によってあらわされ,それを形象化するのが一つ一つの文字つまり漢字であるため,〈字〉についてその意味,音を語ることが,すなわち中国語の意味や音の,少なくとも単位について語ることになるからである。主として意味を論ずる〈訓詁〉学書,たとえば《爾雅(じが)》《小爾雅》《方言》《釈名》《広雅》《埤雅(ひが)》《爾雅翼》《駢雅(べんが)》《通雅》など,また,すでに例をあげた〈字書〉類,次に詩文の押韻の基準を示すことをおもな目的とし,副次的にはある文字について訓詁を知りたいときもその音によって引ける構造になっている〈韻書〉類,たとえば《切韻》《広韻》《集韻》《礼部韻略》《古今韻会挙要》《洪武正韻》《佩文詩韻》《音韻闡微(せんび)》など,以上いずれもそうである。
訓詁学

しかし,中国語において意味や音の単位が単音節であるといっても,実際にはひじょうに古い時代から,単音節を二つ以上組み合わせたもの,つまり二つ以上の音節,したがって二つ以上の意味の単位を組み合わせて一つの合成された新しい意味をかたちづくるという現象が見られた。日本で〈熟語〉などと呼ばれるものの多くがそれである。たとえば〈春〉と〈秋〉という二つの音の単位でもあり意味の単位でもあるものを組み合わせ,〈春秋(しゆんじゆう)〉という語を合成した場合,合成された〈春秋〉はすでに単なる〈春と秋と〉ではなく,〈春〉と〈秋〉,すなわち〈春耕〉と〈秋収〉という二つの,当時の人間生活にとって最も重要な作業に従事すべき季節を取り上げることによって〈春夏秋冬〉の四季の交替,つまりは〈一年の時の流れ〉,さらに抽象的には〈時間〉〈時の推移〉といった拡張された意味にまで,本来それは行き着くべきものであった。その場合〈春秋〉の全体は,明らかに単位たる〈春〉と〈秋〉とがそれぞれに示しうる意味の単なる並列の範囲を超えているのであって,したがって本来中国の辞書,辞典の類は,そうした合成された結果としての新しいことばについても,その意味を語らなければならないはずであった。

 現実にはしかし,古い中国の〈字書〉類がそうした複音節の語,熟語の意味を解説することは,むしろきわめてまれであって,たとえばこの〈春秋〉の場合,それが単に〈春と秋と〉なのではなくて〈一年という時〉というような意味であることを教えるのは,《詩経》魯頌(ろしよう)・閟宮(ひきゆう)の詩の中で〈春秋匪解(春秋解(おこた)らず)〉というその〈春秋〉は,〈なお四時と言うがごとし〉と後漢の鄭玄(じようげん)のいわゆる《鄭箋(ていせん)》がいうように,読書の際の,そのときどきの指摘であることが多かった。ただ,この〈春秋〉のような場合,〈春秋おこたらず〉を,〈春も秋も〉おこたることなく,ということだと考えることで〈一年中〉という気もちが伝わらないわけではなく,たとえばまた〈春秋〉が〈これからの長い年月〉をあらわすであろう〈陛下富於春秋(陛下は春秋に富ませたもう)〉(《史記》李斯(りし)列伝)のような場合,この〈春秋〉を,〈春も秋も〉まだまだたくさんおありです,と受け取ることで,それ以上特別な解説はなくてすむ,といえばいえる。解説なしですまないのは,連ねられた二つ以上の音と意味とが,そのように連ねられた結果できあがる新しいことばの意味と,まったく関係がないか,あるいは,あったとしても関連するところがきわめて少ないという場合で,そういう場合があることも,中国語について,きわめて古い時代から知られていた。

 中国の辞書として最も古い,少なくとも最も古い部分を含んでいると思われる《爾雅》でも,その巻頭第一《釈詁(しやつこ)》上篇の冒頭に〈初,哉,首,基,肇,祖,元,胎,俶,落,権輿,始也〉というのは,いずれも最後の〈始〉がそうであるように,日本語でいえば〈はじめ〉であるような文字を並べたものであるが,そのうち〈権輿(けんよ)〉というのは〈初〉以下の10字がいずれも1字で〈はじめ〉であるのとちがって,この2字あわせて〈はじめ〉であり,かつこれが〈はじめ〉であるのは,その合成単位である〈権〉とも〈輿〉とも本来関係がなく,それら二つのこの順序での連なりだけが〈はじめ〉という意味をもったことばを形づくるのであった。《爾雅》はこの〈権輿〉のほか2字のものを主とするかなりの数の複音節の語を含む。動植物の名を集めた部分には特に多い。そうしてそれらはしばしばいまの〈権輿〉の例のように,それ以上意味の単位には分割できないものである。

 このように,単に〈字〉を解説するだけでは足りない複音節の語を処理するためには,〈字〉を単位とする〈字書〉方式は少なくとも不便である。後漢の許慎の《説文解字》の場合,同様のものを処理する方式は,たとえば〈珊瑚(さんご)〉の例について見ると,まず〈珊〉の字を取り上げたうえ,〈珊瑚なり〉といい,〈色赤く,海に生じ,或(ある)いは山に生ず〉という。ついで〈瑚〉の字をすぐ続けて取り上げ,ここでは単に〈珊瑚なり〉という。ヨーロッパ系の言語を外来語として取り入れたうえ,それを漢字化したものと考えられている〈葡萄(ぶどう)〉になると,その古い表記は〈蒲桃〉などであるため,〈蒲〉には〈蒲〉の原義があり,〈桃〉には〈桃〉の原義があって,字の原義を説くことを仕事とする《説文》が,〈蒲桃〉すなわち〈葡萄〉に触れることはありえない。〈葡〉にも〈ぶどう〉とは無縁の〈草なり〉と訓ぜられる本義があるのである。

ところで中国語は,意味や音の単位としては依然単音節的でありながら,実は語彙としては漢字にして2字以上の複音節語の全体の中に占める比重をふやしつづけてきた。現在ではむしろごく少数の基本単語の中にしか単音節語,漢字でいえばただ1字だけで表しうるものは見当たらないといってもいい。そうして,ふえてきた複音節語は〈珊瑚〉〈葡萄〉のように意味の要素には分解できないものよりも,むしろ〈春秋〉式の,意味組合せ式のものがずっと多いのは事実だが,その〈春秋〉でさえ,それが《五経》の一つとして固有名の《春秋》であるときには,〈春秋なる者は魯の史記の名なり。事を記す者は,事を以て日に繫(か)け,日を以て月に繫く。月を以て時に繫け,時を以て年に繫く。遠近を紀(しる)し,同異を別(わか)つ所以(ゆえん)なり。故に史の記す所,必ず年を表して以て事を首(はじ)む。年に四時有り。故に錯(たが)えて挙げ,以て記す所の名と為すなり。……孟子曰(いわ)く,楚(そ)これを檮杌(とうごつ)と謂(い)い,晋(しん)これを乗(じよう)と謂い,而して魯これを春秋と謂う,其の実は一なり〉(〈春秩序〉)というほどの解説はどうしても必要なことであった。つまり〈春と秋と〉ということで〈年〉をあらわし,ひいてはそれが〈歴史〉となり,一般名詞としての〈歴史〉が結局さらに魯の国の年代記の固有名ともなった,ということをいっているのだが,いまもこういう解説を,晋の杜預(どよ)の〈春秋序〉から引用したように,こうした解説は,通例〈字書〉以外の場所で行われるものとされていた。《五経》をはじめとする経典の読解について,今日的意味からすれば明らかに〈辞書〉である唐の陸徳明の《経典釈文》が,〈音義〉書として〈諸経総義〉類に属するなどの扱いを受けるのもそれである。

 こうしたものをまで含めて,〈字書〉が扱うようになるのは,1915年に出版された商務印書館の《辞源》である。その編集が開始されたのは1908年,まだ清の光緒年間であったというから,これは清末とくに日清戦争以後内外の事ようやく多端となった時期,それに対応すべく企画されたものであろう。直接には1903年,熟語をも加えた《漢和大辞典》が三省堂から出版されたのが刺激になっていようという清水茂の説は聞くべきである。明治維新によってひとまず先に新時代に入った日本がヨーロッパ語の翻訳として作り出し,あるいは旧来の漢語に新しい意味を付与する形で取り上げた多くの新漢語は,しばしば大量に中国にも逆輸出され,それは中国社会に対する大きな言語的インパクトになったと考えられるような時代であった。

 たとえば〈社会〉という語は,歴史的にはまず郷党の〈社〉の祭りでの縁日を示すことばとして,ついで同好同志のものの結社を示すことばとしてすでに存在していた。それらの記憶を伴ってであるにせよ,それがヨーロッパ語societyその他の訳語としても使われるようになり,定着してやがてその意味で使われることのほうが多くなると,〈辞書〉はそれを避けて通ることができなくなる。《辞源》がその序文の中で,〈字〉ではなく〈辞〉を扱う辞典,つまり文字すなわちletterを扱う〈もじ典〉ではなく,〈語〉すなわちwordを扱う〈ことば典〉であることを強調したのはそのためであった。以後,中国でも〈字書〉は通例こうした〈辞典〉あるいは〈詞典〉であり,比較的小型でなお〈字典〉を名のるものの場合でも,〈字〉解を補うかたちでその〈字〉を含む熟語をあげたり,熟語によっては特別に解説をほどこしたりするのが普通である。

 その場合の親〈字〉は,古典読解用にも使うという種類のものでは《康熙字典》式,このごろではときにそれを改訂した方式の部首別画数順の配列が普通だが,やや古くは注音字母の順,新しくはアルファベット順として音により〈字〉を検索させ,ついでそれを第1字とする熟語をそれぞれの方式に従って配列するというのが,現代語用の詞典としては一般的である。旧来の〈字書〉と〈韻書〉との合体だということもできよう。いずれの場合でも,画引き詞典なら発音順の,発音引きなら画引きその他の,他種の索引が付録されて検索の便をはかっているのは,現在の日本の漢和辞典と同じである。部首別詞典としてはその後《辞源》をライバルとして1937年中華書局の《辞海》が作られた。両者ともその後次々に形を変えながらともに健在で,いま《辞源》は古典読解用,《辞海》は小百科的なものを目ざしていると見える。〈親字〉を利用しない完全な発音引き辞典は,中国の著作としては《漢語拼音詞彙》(1958)など,解説を伴わぬ語彙集以外には,まだない。
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西洋における辞書の歴史は古く,前7世紀ごろ作られたアッカド語の単語集が最古の辞書の一つに数えられている。そのほか前5世紀以降ギリシア・ローマを中心に,簡単な語注を加えた用語解的なものが種々作られているが,これら古代の辞書に共通していえることは,いずれも難語を中心にしたもので日常語がほとんど取り上げられないという点であり,この傾向は近代初期の辞書編集においても依然認められるものである。

イギリスにおける辞書の起源は7,8世紀ごろのラテン語用語解にさかのぼる。当時ヨーロッパの公用語・学術語であったラテン語読解の便を図るため,難解な語を取り上げてこれに平易なラテン語または古期英語で語注を施したものが,初学者用に作られていた。この種のものでイギリス最古の用語解としては,8~9世紀ころ作られた《エピナル・グロッサリー》《コーパス・グロッサリー》等が知られている。前者はテキストごとにまとめてあるが,後者では全部をアルファベット順に配列している。このようなアルファベット順用語解に対して,主題ごとに意味・内容上関連するラテン語類義語を記載し,これに意味上対応する古期英語の語句を添えたラテン語類語集があるが,その代表的なものは10世紀ころのカンタベリー大主教エルフリックÆlfric(生没年不詳)の編に擬せられるものである。しかし,1066年のノルマン・コンクエスト後は,国語としての英語の衰微とともにこの種の辞書類の編集も不振となり,断片的な類語集が数編見られるにとどまった。その中の一つ,著名な神学者・文法学者・錬金術師として知られたガーランドJohn Garland(1202ころ-52)の類語集は,イギリス人の著した英語文献で初めてdictionarius(英語のdictionary)というラテン語を用いたものとして注目されるが,付記された英語の対応語はごくわずかにすぎない。

 けれども14世紀末になると,国家意識の高揚とともに英語が国語としての地位を回復し,15世紀の間に数種の羅英辞典が現れた。1440年ころに活躍したドミニコ会士ガルフリドゥスGalfridus Grammaticus(ジョフリーGeoffrey the Grammarian,生没年不詳)の編と伝えられる英羅辞典《初学者用学習宝庫》は,名詞・動詞を主として約1万2000の英単語を取り上げ,これにラテン語の対応語を加えたもので好評を得,99年にはイギリスで最初の印刷本辞書として刊行された。ちなみに,1477年ベネチアで出版された《伊独語彙(ごい)集》は最初に印刷された近代語2ヵ国語辞典であり,また81年にニュルンベルク出版の《ドイツ語彙集》には約1万語の見出し語が収録されている。こうしてしだいに次のルネサンス期における近代的辞書成立への準備が整えられていく。

16世紀に入ってまもない1502年に,イタリアのレッジョで出版されたカレピーノAmbrogio Calepino(1435-1511)の《博言辞典》はラテン語のほかイタリア語など数ヵ国語を収め,1590年版では11ヵ国語に及んでいる。この《博言辞典》が象徴しているように16~17世紀は〈外国語辞書〉の時代であり,ルネサンス期における古典研究熱,世界的な通商・交流の結果として,ラテン語・ギリシア語以外にフランス語・イタリア語等の近代諸国語辞典が相次いで刊行された。イギリスではクーパーThomas Cooper(1517ころ-94)の《羅英辞典》(1565)をはじめ,フローリオーの《伊英辞典》(1598),コトグレーブRandle Cotgrave(1634ころ没)の《仏英辞典》(1611)等をあげることができる。また1573年出版のバレットJohn Baret(1580ころ没)編《蜜蜂の巣箱》は英・羅・仏の3ヵ国語辞典であった。

 16世紀を通じ,英語は古典語をはじめ多くの外国語から借入を行い,一時は〈外来語の洪水〉のような現象を呈し,一般の人々には理解しがたい〈インキ壺くさい〉衒学的な用語が氾濫(はんらん)したため,そのような難語を集めて説明した難語辞典を要求する声が強かった。これにこたえ,独立した形での最初の英語辞典の誉れを担うのはコードリーRobert Cawdrey編《英語アルファベット表覧》(1604)である。一方,17世紀の間にブラントThomas Blount(1618-79)編《語誌》(1656)のように,語義のほかに不十分ながら語源的説明を加えたものも現れた。このように,17世紀は難語辞典の時代ということができるが,次の18世紀は真の意味で英語辞書が成立した時代である。まず,カージーJohn Kersey編と推定される二つの英語辞典,《新英語辞典》(1702)と《アングロ・ブリタニカ辞典》(1708)とは,難語や特殊語のみならず日常用語も多く取り入れ,一般的な英語辞典の編集に一歩を進めた。この一般辞書としての性格をさらに推し進めるとともに,小規模ながら同時代の作家からの用例を加えることによって,本格的な英語辞典の編集に寄与したのがベーリーNathaniel Bailey(1742没)の《万有英語語源辞典》(1721)である。収録語数約4万,語源を重視した一般英語辞典として注目を浴びた。ベーリーは1730年新たに《英国辞典》を刊行したが,収録語数6万,図解を含み,当時最大・最良の英語辞典として,やがてS.ジョンソン博士(S.ジョンソン)が辞書を編集するに当たり,その底本として用いられることになる。

 18世紀はヨーロッパを通じ合理主義が風靡(ふうび)し,フランスやイタリアではアカデミーが設立されて,国語の純化と標準語確立のための辞書の編集が行われていた。イギリスでは結局,国語問題に携わるアカデミーは成立しなかったけれども,標準的な新辞典の編集は,S.ジョンソンという偉大な個性によって,ほとんど独力で完成されたのである。この《英語辞典》2巻(1755)は従来の英語辞典の集大成というべきもので,収録語数約4万3000,ようやく固定しかけてきた綴字法を整理し,語源を不十分ながら与え,語の意味用法をおもに17世紀以降の文学作品からの引用例によって説明し,ほぼ近代的な国語辞典に仕上げることに成功した。

 ジョンソン博士の辞書は,収録語彙の選定や定義等において主観的な好悪に左右されることがまれではなかった。しかし19世紀に入ると,言語の科学的研究の勃興に呼応して,後述するグリム兄弟の《ドイツ語辞典》(《グリム・ドイツ語辞典》)をはじめとし,辞書編集についても客観性・歴史性が求められることになった。聖職者で言語研究に深い関心を寄せていたトレンチRichard Chenevix Trench(1807-86)は1857年の言語学協会の会合で,〈英語辞典にみられる若干の欠陥について〉という報告を行い,その中で従来の英語辞典が各語の成長の歴史につき不十分な情報しか与えないことを指摘し,〈歴史的原理〉による大規模な英語辞典編集の必要性を強調した。その主張はやがて《歴史的原理による新英語辞典》として結実することになる。しかし,この大辞典の実現には幾多の障害があり,マレーJames Augustus Henry Murray(1837-1915)が編集主幹となって第1分冊を刊行したのが1884年,その後3名の編集者を加え,本巻の完成をみたのは44年後の1928年であった。その後33年には本文12巻に補遺1巻を加え,《オックスフォード英語辞典》(OED)として揺るぎない地位を占めている。収録語数約42万,1150年以後の語はすべて収録し,16世紀以前については当時利用できる全作家の作品から用例を収集することを目標としたという。語義もほぼ歴史的順序に分類・配列し,各語義について初出の例を,また廃語については最終用例を記している。語の成長を克明に記録した歴史的辞典として最も権威ある英語辞典であるのみならず,ひろく世界各国の国語辞典の中でも傑出したものといわれる。1933年の補遺版以後の新語・新語義を補うため新補遺全4巻が刊行された。

アメリカでは小学校における国語教育の必要から作られた《スクール辞典》(1798)が最初の英語辞典である。編者は,奇しくもイギリスのジョンソン博士と同姓同名のサミュエル・ジョンソンという学校教師であった。その後18世紀末から19世紀初にかけて,アメリカに特有の語や語義に多少とも注意を払った英語辞典が数種刊行されたが,ジョンソン博士のものに匹敵する本格的辞典は,すでに綴字教本等で声名の高かったN.ウェブスター編《アメリカ英語辞典》2巻(1828)である。収録語数約7万,アメリカ特有の語や語義・用法を収め,用例もアメリカ人の著作から多数引用し,合理的な綴字法を採用するなど,アメリカにおける英語辞典の先駆となった。ウェブスターに続き,ウースターJoseph Worcester(1784-1865)による3種の英語辞典が現れた(1830,46,60)。そして革新的な傾向をもつウェブスター辞典と保守的で柔軟・穏健な立場をとるウースター辞典との間にいわゆる〈辞書戦争〉が起こったが,結局ウェブスター辞典の改訂版が勝利を収めた。ウェブスター辞典の地位は,19世紀末相次いで刊行された大辞典,言語学者W.D.ホイットニー編《センチュリー辞典》6巻(1889-91。改訂版12巻,1911)やファンクIsaac Kauffman Funk(1839-1912)編《標準英語辞典》2巻(1893-94,改訂版1913)等の出現によっても揺るがず,その新版《ウェブスター新国際英語辞典》(1909,第2版1939,第3版1961)はアメリカにおいて最も権威ある大辞典の座を独占している。

 上記1961年出版の《ウェブスター新国際英語辞典》第3版は構造言語学の理論を背景とし,〈辞書は言語の現実をありのままに記述すべきで,規範を与えるべきものではない〉という記述主義の立場から,従来誤用とされていた語法を少なからず容認した。これに対して〈辞書は言語の管理者としてその言語に表現の正確さとともに洗練を与える導きとなるべきである〉との編集理念を掲げて,反《ウェブスター》の先頭に立ったのが《アメリカン・ヘリティッジ英語辞典》(1969,改訂版1982)である。この〈客観的記述性〉対〈規範性〉は,辞書編集の過程でしばしば問題となるものである。

 従来,イギリスの辞書は,固有名詞や風物誌的なものは母国語話者に自明ということでほとんど取り上げず,もっぱら語の意味・用法に重点をおく〈ことば典〉的性格に徹し,一方アメリカの辞書は百科事典的性格も備え〈こと典〉的傾向をもつといわれてきた。そのことは,イギリスの《簡約オックスフォード英語辞典》(COD。1911,第7版1982)とアメリカの各種カレッジ版辞書を比較してみれば明らかである。しかし最近では,イギリス系のものにも豊富な図解入りの《新オックスフォード図解辞典》(1978)や固有名詞等を多く取り入れた《コリンズ英語辞典》(1979)等が現れ,一方アメリカ系の《ウェブスター》大辞典は〈ことば典〉的性格に徹するというように,一概に割り切れなくなっている。

近代における科学的な辞書編集に大きな影響を与えたのは,前にもふれたグリム兄弟の《ドイツ語辞典》である。グリム以前のものとしては,ジョンソン博士の《英語辞典》に比較されるアーデルングJohann Christoph Adelung(1732-1806)編《高地ドイツ語文法的・批判的辞典》5巻(1774-86)等がある。《グリム童話集》の編者でもあるグリム兄弟が,ドイツ語の純化を目的としてその編集に着手し第1分冊が刊行されたのは1852年であったが,その後の刊行は遅々として進まず,全16巻32冊の完成を見たのは100余年後の1960年であった。この年を経た《グリム・ドイツ語辞典》の現代化を目ざす新版は,分冊の形で1966年に刊行を開始している。一方,現代ドイツ語の生きた慣用を重視する辞書として,東ドイツ科学アカデミー付属言語学研究所編《現代ドイツ語辞典》6巻(1964-78),西ドイツから《ドゥーデン・ドイツ語大辞典》6巻(1976-81)が刊行されており,また《ブロックハウス=ワーリヒ・ドイツ語辞典》6巻が1980年以来刊行中である。

 フランスにおける最初の国語辞典は,難航したアカデミー・フランセーズ刊行の辞書に先駆けて出版されたリシュレCésar Pierre Richelet(1631-98)編《フランス語辞典》(1680)であった。アカデミー・フランセーズ版はようやく1694年に日の目を見たものの不備の点が少なくなく,とくに当代の語法を正しく反映せず,独断に流れる弊が指摘されていた。批判者の一人プージャンCharles Pougens(1833没)は,ジョンソン博士の《英語辞典》をしのぐフランス語辞典の編集を独力で計画したが,不幸にも完成をみずに終わった。しかしその資料は後にリトレの辞書編集に利用されることになった。はじめ医学を志したリトレは苦心の末《フランス語辞典》4巻(1863-72,補遺1878,改訂版1958)を著し,フランス語辞典編集史に画期的な貢献をした。最近のものとしては,ロベールPaul Robert(1910- )編《フランス語大辞典》6巻(1960-64,補遺1970)と《ラルース大フランス語辞典》7巻(1971-77)が本格的な国語辞典であり,またリトレの新版の計画から生まれたフランス国立科学研究所刊行の《フランス語宝庫》はコンピューター利用の時代別歴史的辞書で,19~20世紀編の第1分冊が1971年に刊行されたが,当初の計画があまりに遠大であったため,規模縮小が図られている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「辞書」の意味・わかりやすい解説

辞書
じしょ
dictionary

単語 (接辞も含めて) を一定の基準に従って配列し,その表記法,発音,文法的機能,意味,用法,語源,成句などを記したもの。配列の基準は普通語形 (正書法の綴り,漢字の部首など) であり,意味によるものは特にシソーラスと呼ばれる (『爾雅』『倭名類聚抄』『清文鑑』などはその類) 。収録する単語の,時代や地域による範囲によって多くの種類があり,また俗語,外来語,隠語,各分野の専門語などを収めた辞書もある。単語についての情報の点でも,一般的な辞書のほかに,アクセント辞典,語源辞典,発音辞典など,種々の特殊辞書がある。辞書編集上の問題を研究する学問を辞書学 lexicographyという。意味の記述法が最大の問題の一つであり,この点で意味論の成果が大きな役割を果す。

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ASCII.jpデジタル用語辞典 「辞書」の解説

辞書

日本語入力システムや翻訳ソフトでの変換処理に必要なデータをおさめたファイル。英和辞典などの電子化辞書を指す場合もある。また、 日本語入力システムは、単語の品詞や意味的な属性などをおさめた辞書ファイルや、ユーザーが単語などを登録するためのユーザー辞書というファイルを持つ。この他に、科学技術用語などの専門用語を収録した専門辞書、郵便番号辞書などもある。

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