堤谷村(読み)つつみがいむら

日本歴史地名大系 「堤谷村」の解説

堤谷村
つつみがいむら

[現在地名]原町市堤谷

南東流して太平洋に注ぐ太田おおた川の河口南岸に位置し、北は下江井しもえねい村および対岸小浜こばま村、南は丘陵を境に大井おおい村・塚原つかばら(現小高町)に接する。天保郷帳に「古者 堤谷村・小沢新田弐ケ村」と注記される。永仁二年(一二九四)八月二二日の関東下知状(相馬岡田雑文書)によると、亡父相馬胤村の遺領である堤谷、小山田こやまだ(現鹿島町)など三ヵ村の領知が安堵されているが、これは師胤(胤村の五男)の子重胤に対してのものとみられる。元弘三年(一三三三)一二月には重胤の子息親胤が相伝所領である堤谷村などについて安堵の国宣を与えられることを要請し、同月二二日に陸奥守北畠顕家から安堵の外題を受けている(「相馬重胤代親胤申状」相馬文書)


堤谷村
つつみだにむら

[現在地名]上市町堤谷

大岩おおいわ川の支流須山すやま川沿いに位置し、東は極楽寺ごくらくじ村・須山村、西は湯神子ゆのみこ村、北は湯崎野ゆさきの村。村名は小字横山よこやま堤の上つつみのうえの中間にある二個の堤に由来する。延宝元年(一六七三)堤谷の内山を掘ったところ小船一艘と櫂が出たと伝える(越中志徴)。草分は八兵衛といい、建武二年(一三三五)松倉まつくら(現魚津市)落城後、はち(現同上)から移住したという(白萩小史)正保郷帳では高一五二石余、田方九町七反余・畑方四反、新田高二四石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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