堰沢村(読み)せぎざわむら

日本歴史地名大系 「堰沢村」の解説

堰沢村
せぎざわむら

[現在地名]蒲原町堰沢

なか村の西に位置し、南は駿河湾。関沢とも記す。弘安三年(一二八〇)一一月二三日、鎌倉下向途中の飛鳥井雅有が「春のみやまち」に「こえはてゝゆひといふ所すきて、又あまのしほや五、六はかりなる所にこかけ有、とへは、せきさはとそいふなる、あまのすむ里をはこかねとそ申」と記し、当地に海女塩屋があり、小金こがねが海女の住む里であった。文明一二年(一四八〇)六月上洛途中の太田道灌は、同地で「とりすてゝおくての早苗せき沢の井杭も今ハ波の埋木」と詠んでいる(平安紀行)

元禄三年(一六九〇)の堰沢村検地帳(内藤家文書)によれば高七九石余、田一町八反余・畑約八町。片浜三村の一で、享保八年(一七二三)蒲原宿から独立(蒲原町史)


堰沢村
せきざわむら

[現在地名]山都町三津合みつあい

宮月みやづき村の南、北流する只見ただみ川の東岸段丘上に位置し、河沼郡坂下組に属した。西は只見川を挟んで同郡夏井なつい(現高郷村)。石沢・関沢とも記した。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では石沢とみえ、稲川いながわ郡のうちで、高三九七石余。「新編会津風土記」によると家数二七、鎮守御稷ごしよく神社

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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