日本歴史地名大系 「塩湯郷」の解説 塩湯郷しおゆごう 岡山県:英田郡美作町湯郷村塩湯郷「和名抄」勝田(かつた)郡塩湯郷の郷名を継ぐか。吉野(よしの)川右岸の湯郷(ゆのごう)を遺称地とし、一帯に推定される。郷内に勝間田(かつまだ)湯と称された温泉がわき、京都にまで知られ貴族らも入湯したことが「玉葉」などにみえる。湯郷とも記された。観応の擾乱の戦功で後藤義季は郷の一分地頭職と公文職半分を、弟の康季は公文職半分を足利尊氏より観応二年(一三五一)二月二一日に給され、永和元年(一三七五)八月一〇日、康季は甥の季治を猶子として両職を譲っている(「後藤康季譲状写」赤堀文書)。 塩湯郷しおゆごう 岡山県:美作国勝田郡塩湯郷「和名抄」高山寺本に「之保由」の訓がある。郷域は吉野(よしの)川と梶並(かじなみ)川の合流点南西の沖積地を中心とする地域、現英田(あいだ)郡美作町湯郷(ゆのごう)付近と推定される。平城宮跡出土木簡に「美作国勝田郡塩湯郷米五斗」がある。当郷から貢納された年料舂米の付札であろう。郷名は湯郷にある温泉に由来する。同泉は含塩化土類食塩泉で、先の木簡から温泉の発見は奈良時代以前にさかのぼることになる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by