20世紀日本人名事典 「塩田奥造」の解説
塩田 奥造
シオダ オクゾウ
- 生年
- 嘉永3年10月15日(1850年)
- 没年
- 昭和2(1927)年2月6日
- 出生地
- 下野国下都賀郡吹上村(栃木県栃木市)
- 経歴
- 明治4年の廃藩置県に際して事務を担当。郷里吹上村など32か村の戸長や学区取締などを経て13年に栃木県議。その一方で、横堀三子らと連携して国会開設運動を行い、自由党に参加して全国各地で演説会を開いた。そのため、一時期投獄されるが、出獄ののち県議に返り咲き、同副議長を務めた。23年には第1回総選挙に当選して衆院議員となり、以後、3回連続で当選。27年の総選挙で落選した後は実業界に転じ、東京火災保険会社取締役・東京米穀取引所理事・京浜銀行支店長・玉川電気鉄道株式会社取締役などを歴任。また、33年よりハワイで事業を開始し、塩田バンクを興したほか、日本人会を組織して移民の保護にも活躍した。39年東洋製糖株式会社を設立。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報