20世紀日本人名事典 「塩田泰介」の解説
塩田 泰介
シオタ タイスケ
- 生年
- 慶応3年11月10日(1867年)
- 没年
- 昭和13(1938)年2月5日
- 出生地
- 備前国赤坂郡今井村(岡山県赤坂町)
- 学歴〔年〕
- 帝国大学工科大学造船学科〔明治23年〕卒
- 学位〔年〕
- 工学博士〔大正4年〕
- 経歴
- 20歳で田淵家を継ぎ、27歳で先代鶴の養子となり塩田家を継ぐ。真徳小学校(のちの軽部小)を卒業後、11歳で上京、元外交官・松田金次郎の書生となり英学・数学・国学・漢学を学ぶ。明治14年大阪商船学校に入学し、15年修了後、造船製図手となる。20年帝国大学工科大学造船学科に入学し、23年卒業。三菱合資に入り、造船技師として事業に当たる。大正4年造船部専務理事を経て、6年三菱造船の設立と共に常務に就任。14年顧問に退く。この間、明治30年英国に渡り造船事業を視察して帰国、31年日本初の本格的航洋商船・常陸丸の建造主任をはじめ、その後の阿波丸・加賀丸・大治丸などの建造主任を務める。38年神戸造船所副長に転出、40年2代目所長となり、同造船所の基礎固めをする。41年長崎造船所副長、44年同造船所4代目所長となり、経営革新と施設の大拡充をし、民間工場で初の主力艦・霧島を竣工させた。また大正3年彦島造船所(下関)の初代所長を兼任。他に日本鉄鋼協会会長、帝国海事協会理事なども務めた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報