日本歴史地名大系 「塩鶴村」の解説
塩鶴村
しおづるむら
[現在地名]鎮西町大字塩鶴
東松浦半島
有浦家文書の文永三年(一二六六)七月二九日の源(佐志)房譲状に「譲与 乙鶴所 在肥前国松浦佐志村内塩津留神崎并鞆田事」とある。塩津留は塩鶴に比定でき、以来塩津留という地名は松浦党関係史料にしばしば出てくる。「海東諸国紀」の「一岐島」の項に「之己丑年受
図書
約歳遣
一二船
書称
上松浦塩津留助次郎源経
」「源重実ハ丁丑ノ年約歳遣
一船
書称
上松浦塩津留松林院主源重実
」「宗殊己卯年遣
使来朝、書称
一岐州上松浦塩津留観音寺宗殊
約歳遣
一船
」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報