日本歴史地名大系 「境興屋村」の解説 境興屋村さかいこうやむら 山形県:東田川郡余目町境興屋村[現在地名]余目町境興屋西袋(にしぶくろ)村の南東、北流する京田(きようでん)川東岸に位置し、中央を走る狩川(かりかわ)(現立川町)―西袋間の道に沿って集落がある。はじめは五輪台(ごりんだい)村と称し、寛永年間(一六二四―四四)に北楯大(きただておお)堰の幹川余目大堰の支堰十四(じゆうよん)ヶ村(そん)堰に境興屋村堰を設けて開発された。寛永一四年の庄内村々高辻(酒井家文書)に五輪台村と記し、高八九石余。この村名は「筆濃余理」によれば、闇夜に光を発する火石があったことに由来するという。 境興屋村さかいこうやむら 山形県:酒田市旧平田郷地区境興屋村[現在地名]酒田市境興野(さかいこうや)北境(きたざかい)村の西、関(せき)村の北にあり、庄内平野の東端近くの新井田(にいだ)川上流右岸に位置する。境興野村とも記した。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録では高二五八石余。寛永元年庄内高辻帳の高は三八二石余。享和三年(一八〇三)の家数一五・人数七一(「村数家数人高控帳」斎藤文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by