増田 美恵女
マスダ ミエジョ
昭和期の俳人
- 生年
- 大正1(1912)年
- 没年
- 昭和35(1960)年11月18日
- 出生地
- 埼玉県秩父郡両神村
- 本名
- 増田 いね
- 旧姓(旧名)
- 飯塚
- 経歴
- 看護婦学校を卒業したのち満州に渡り、開拓地の看護婦・助産婦として活躍。ここで開拓団の青年と結婚して3児をもうけるが、敗戦のために夫と離別し、昭和21年子供とともに命からがら帰国した。その後、埼玉県熊谷市の増田平四郎と再婚し、銘茶の販売などで生計をたてた。一方、女流俳人としても活動し、29年には俳人・田島一宿らとともに俳誌「高唱」を創刊。以後、作句に励むとともに同誌の発行にも尽力した。満州での体験を詠んだものに秀句が多い。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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増田美恵女 ますだ-みえじょ
1912-1960 昭和時代後期の俳人。
大正元年生まれ。満州(中国東北部)で助産婦,看護婦としてはたらく。開拓団の青年と結婚,敗戦で3児と帰国。のち増田平四郎と再婚。昭和29年田島一宿の俳誌「高唱」にくわわり,その発行につくした。昭和35年11月18日死去。48歳。埼玉県出身。旧姓は飯塚。本名はいね。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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