壁田城跡
へきだじようあと
[現在地名]中野市大字壁田
長丘丘陵上の最高所にあって川中島平と飯山地方を展望しうる絶好の地点に位置している。従って古志開拓時代より狼煙台の役目を果し、笠原牧時代には笠原氏の山城となっていたと推定される。特に上杉・武田両氏争覇の厳しかった戦国時代には、上杉方拠点飯山城に備えての武田氏の重要な要害となっていた。永禄九年(一五六六)九月、信玄は山田飛騨守・同左衛門尉に壁田・田麦・寿徳寺等の地を宛行って、本城の守備を命じている(「武田信玄朱印状案」諸家古案集)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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