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芳賀矢一 はが やいち

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美術人名辞典の解説

芳賀矢一

国文学者。歌人芳賀真咲の子。福井生。小中村清矩に師事。東大教授・帝国学士院会員・国学院大学長・皇典講究所調査委員長を歴任。国文学を文献学的に研究し、国文学研究の基礎を築く。また国語教育にも尽力した。著書に『国学史概論』『国民性十論』等がある。昭和2年(1927)歿、61才。

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デジタル大辞泉の解説

はが‐やいち【芳賀矢一】

[1867~1927]国文学者。福井の生まれ。ドイツに留学し、文献学的国文学を提唱。国文学研究の開拓者といわれる。著「国文学史十講」「国民性十論」「攷証今昔物語集」など。

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百科事典マイペディアの解説

芳賀矢一【はがやいち】

国文学者。越前の人。東大国文科卒。ドイツに留学して西洋文献学を導入し,国文学を近代的学問として樹立しようとした。主著は《攷証今昔物語集》《国文学史十講》《国民性十論》など。
→関連項目チェンバレン藤岡作太郎

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

芳賀矢一 はが-やいち

1867-1927 明治-大正時代の国文学者。
慶応3年5月14日生まれ。芳賀真咲(まさき)の長男。明治35年東京帝大教授,のち国学院大学長をかねる。ドイツ文献学の方法をとりいれ,近代国文学研究の基礎をきずく。国定教科書の編集にも関与した。昭和2年2月6日死去。61歳。越前(えちぜん)(福井県)出身。帝国大学卒。著作に「国文学史十講」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

はがやいち【芳賀矢一】

1867‐1927(慶応3‐昭和2)
国文学者。福井県出身。1892年東京帝大文科大学国文科を卒業,98年に同大学助教授に就任,翌年文学史攻究法の研究のためにドイツに留学し,1902年に帰朝して教授に昇任。留学中フィロロギー(文献学)の理論と方法を学び,近世国学を日本文献学として再認識し,これを継承するものとしての国文学を近代的学問として樹立しようとした。22年に東大を退官したが,その間,国学院大学長,東宮職御用掛などに就任,また国語政策に尽力し,国定教科書の編纂にも関与した。

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大辞林 第三版の解説

はがやいち【芳賀矢一】

1867~1927) 国文学者。福井県生まれ。東京帝大教授。ドイツの文献学を導入し、国文学研究の基礎を築く。著「国文学史十講」「日本文献学」「攷証今昔物語集」など。

出典|三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

芳賀矢一
はがやいち

[生]慶応3(1867).5.14. 越前,福井
[没]1927.2.6. 東京
国文学者。文学博士。 1892年帝国大学 (現東京大学) 国文学科卒業。 1899年ドイツに留学,文献学の理論と方法を学び,1902年東京帝国大学教授。國學院大學学長を務めた。近代国文学を樹立した第一人者で,学界,教育界に残した功績は大きい。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

芳賀矢一
はがやいち
(1867―1927)

国文学者。慶応(けいおう)3年5月14日越前(えちぜん)福井に生まれる。父真咲(まさき)は国学者。1892年(明治25)帝国大学文科大学国文学科卒業。第一高等学校教授兼高等師範学校教授を経て、1898年文科大学助教授。1900年(明治33)から2年間ドイツへ留学、ベルリン大学で文献学を研究し、帰国後、教授。1918年(大正7)国学院大学長を兼ね、1922年東大を辞任。昭和2年2月6日没。「国文学」の樹立に力を注ぎ、大学在学中の『国文学読本』(1890)でその学的根拠と範囲を追究し、『国文学史十講』(1899)でその史的展開を説き、別にドイツ文献学と国学の方法の比較も行った。多くの後進を育成したほか、その国家愛は国語問題、国語教育、国民教育にも及び、国民性の特色を述べた『国民性十論』(1907)、『月雪花』(1909)の著作、辞書、教科書などの編集もある。[古田東朔]
『芳賀檀編『芳賀矢一文集』(1937・冨山房)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の芳賀矢一の言及

【日本文学】より

…【加藤 周一】
【研究史――近代以降】
 明治初期の日本文学研究は,近世国学の継承・踏襲にとどまるものであった(近世までの研究については〈国学〉〈歌論〉などの項を参照)。1890年,北村透谷により,〈文学史の第一着は出たり〉と評された関根正直《小説史稿》,および三上参次・高津鍬三郎《日本文学史》という新動向をみるものの,〈国学〉が近代科学として再編成されるのは,明治30年代の芳賀(はが)矢一においてである。芳賀は1899年《国文学史十講》で以後の文学史叙述の一範型を示し,翌年からのドイツ留学の成果を〈日本文献学〉の名で体系化した。…

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