明治・大正期の国文学者,国語学者 国学院大学学長;東京帝国大学名誉教授。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
国文学者。福井県出身。1892年東京帝大文科大学国文科を卒業,98年に同大学助教授に就任,翌年文学史攻究法の研究のためにドイツに留学し,1902年に帰朝して教授に昇任。留学中フィロロギー(文献学)の理論と方法を学び,近世国学を日本文献学として再認識し,これを継承するものとしての国文学を近代的学問として樹立しようとした。22年に東大を退官したが,その間,国学院大学長,東宮職御用掛などに就任,また国語政策に尽力し,国定教科書の編纂にも関与した。《国文学史十講》(1899)のほか,《国民性十論》(1907),《雪月花》(1909),《日本人》(1912)などの文明批評的著作が多いが,《攷証今昔物語集》(3冊,1913-21)は古典的名著として高く評価される。
執筆者:秋山 虔
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
国文学者。慶応(けいおう)3年5月14日越前(えちぜん)福井に生まれる。父真咲(まさき)(1841―1906)は国学者。1892年(明治25)帝国大学文科大学国文学科卒業。第一高等学校教授兼高等師範学校(現、筑波(つくば)大学)教授を経て、1898年文科大学(現、東京大学文学部)助教授。1900年(明治33)から2年間ドイツへ留学、ベルリン大学で文献学を研究し、帰国後、教授。1918年(大正7)国学院大学長を兼ね、1922年東大を辞任。昭和2年2月6日没。「国文学」の樹立に力を注ぎ、大学在学中の『国文学読本』(1890)でその学的根拠と範囲を追究し、『国文学史十講』(1899)でその史的展開を説き、別にドイツ文献学と国学の方法の比較も行った。多くの後進を育成したほか、その国家愛は国語問題、国語教育、国民教育にも及び、国民性の特色を述べた『国民性十論』(1907)、『月雪花』(1909)の著作、辞書や教科書などの編集もある。
[古田東朔 2018年10月19日]
『芳賀檀編『芳賀矢一文集』(1937・冨山房)』
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1867.5.14~1927.2.6
明治・大正期の国文学者。越前国生れ。東大卒。1900年(明治33)ドイツに留学し文献学を学ぶ。02年帰国し,東京帝国大学教授。のち国学院大学学長。ドイツ文献学の方法から近世の国学を見直し,国文学の文献学的研究を確立した。国文学の方法論確立の先駆的役割をはたす。著書「国文学史十講」。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…【加藤 周一】
【研究史――近代以降】
明治初期の日本文学研究は,近世国学の継承・踏襲にとどまるものであった(近世までの研究については〈国学〉〈歌論〉などの項を参照)。1890年,北村透谷により,〈文学史の第一着は出たり〉と評された関根正直《小説史稿》,および三上参次・高津鍬三郎《日本文学史》という新動向をみるものの,〈国学〉が近代科学として再編成されるのは,明治30年代の芳賀(はが)矢一においてである。芳賀は1899年《国文学史十講》で以後の文学史叙述の一範型を示し,翌年からのドイツ留学の成果を〈日本文献学〉の名で体系化した。…
※「芳賀矢一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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