日本歴史地名大系 「多久庄」の解説
多久庄
たくのしよう
これまで「多久庄」については根拠とすべき史料の確認が十分行われず、近世に入って記された伝承をそのまま承認するという形で引き継がれてきた。そこでもともと荘園としては実在せず、近世に慣習的に称されたのではないかとの説も強かった。しかし、幾つかの史料の中には信憑性ありと思われる文書が二、三あって、伝えられた「庄」をむげに退けることのできないものがある。竜造寺家文書の文永三年(一二六六)六月肥前国検注帳案の裏書に「一 多久は
宗像神社文書には正和二年(一三一三)正月九日、前大宮司氏盛が定めた社規の宗像社事書があるが、その四条に、
の一項があり、収納を厳密にすべしと令しており、「田久」がみえ、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報