新撰 芸能人物事典 明治~平成 「多忠朝」の解説
多 忠朝
オオノ タダトモ
- 職業
- 雅楽師
- 肩書
- 宮内省式部職楽部楽長
- 生年月日
- 明治16年 4月5日
- 出身地
- 東京都
- 経歴
- 京都方楽家多家第七庶流8代目多忠古の三男で、兄二人が早く死去したため家を継いだ。明治31年式部寮雅楽課の楽生となり、41年宮内省式部職雅楽部雅楽手、42年雅楽師などを歴任。専門は笛。またバイオリンなどの洋楽器もたしなみ、大正12年6月学生を中心としたアマチュアオーケストラを組織して報知新聞社講堂で演奏会を開いたことで話題を集めたが、9月の関東大震災により解散した。昭和11年宮内省楽部楽長に就任。雅楽の新作も試み、「承久楽」「悠久」「昭和楽」「懐古」、神楽舞「浦安の舞」などを作曲・作舞。これらは伝統的な雅楽の形式に基づくものであるが、時には牙琴、大篳篥、大箏など大型の雅楽器を用いた作品もある。20年退官後は神社音楽協会を創設し、神道祭祀楽の普及及び改善に努めた。
- 没年月日
- 昭和31年 10月21日 (1956年)
- 家族
- 父=多 忠古(雅楽師)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報