朝日日本歴史人物事典 「多田吉左衛門」の解説
多田吉左衛門
生年:生年不詳
江戸前・中期,土佐藩津呂捕鯨中興の祖。五郎衛門(義平)の子。名は清平。土佐藩での捕鯨業は寛永(1624~44)初年に父の五郎右衛門によって創始されたが,不漁続きのため,寛永16年に至って中断していた。吉左衛門は寛文4(1664)年,捕鯨再興のため捕鯨肝煎を命じられ,天和1(1681)年弟義次と共に捕鯨法習得のため紀州太地浦に赴く。網取法の創始者太地覚右衛門に面会を求めたが許されず,漁夫として入り込み苦心惨憺の末,網取捕鯨法の伝授を受けたといわれる。紀州の羽刺10人,漁夫60人を連れて帰国,津呂の捕鯨法を一変させ,捕鯨業を復興した。<参考文献>福本和夫『日本捕鯨史話』
(石田好数)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報