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多田吉左衛門 ただ きちざえもん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

多田吉左衛門 ただ-きちざえもん

?-1709 江戸時代前期の捕鯨家。
多田五郎右衛門の子。寛文4年(1664)土佐高知藩の鯨方肝煎(きもいり)となる。天和(てんな)2年紀伊(きい)太地(たいじ)(和歌山県)の太地(たいち)角右衛門のもとで鯨の網取り法をまなび,土佐につたえた。宝永6年死去。

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朝日日本歴史人物事典の解説

多田吉左衛門

没年:宝永6(1709)
生年:生年不詳
江戸前・中期,土佐藩津呂捕鯨中興の祖。五郎衛門(義平)の子。名は清平。土佐藩での捕鯨業は寛永(1624~44)初年に父の五郎右衛門によって創始されたが,不漁続きのため,寛永16年に至って中断していた。吉左衛門は寛文4(1664)年,捕鯨再興のため捕鯨肝煎を命じられ,天和1(1681)年弟義次と共に捕鯨法習得のため紀州太地浦に赴く。網取法の創始者太地覚右衛門に面会を求めたが許されず,漁夫として入り込み苦心惨憺の末,網取捕鯨法の伝授を受けたといわれる。紀州の羽刺10人,漁夫60人を連れて帰国,津呂の捕鯨法を一変させ,捕鯨業を復興した。<参考文献>福本和夫『日本捕鯨史話』

(石田好数)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の多田吉左衛門の言及

【土佐国】より

…捕鯨業は近世初頭,安芸郡津呂(現,室戸市)の多田五郎右衛門が始めた。尾張から尾池四郎右衛門が来国して従事したこともあったが長続きせず,寛文年間(1661‐73)多田吉左衛門が従来の突取法に代わる網取法を紀州より導入,津呂,椎名(現,室戸市)と幡多郡窪津(現,土佐清水市)を漁場に発展した。しかし回遊頭数にむらがあって安定せず,元村(現,室戸市)大庄屋奥宮氏の手を経て幕末には藩営となった。…

※「多田吉左衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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