20世紀日本人名事典 「大久保重五郎」の解説
大久保 重五郎
オオクボ ジュウゴロウ
明治〜昭和期の園芸家
- 生年
- 慶応3年8月13日(1867年)
- 没年
- 昭和16(1941)年1月15日
- 出生地
- 備前国磐梨郡弥山村(岡山県赤磐郡瀬戸町)
- 学歴〔年〕
- 千種小学校卒
- 主な受賞名〔年〕
- 日本園芸会表彰〔昭和17年〕
- 経歴
- 小学校を卒業後、篤農家の小山益太に師事して漢学と果樹栽培を学ぶ。明治19年郷里岡山県弥上村に果樹園を開いて桃の栽培をはじめ、同時に栽培技術を研究。大正3年には師の小山に同行して倉敷奨農会農業研究所に入り、長きに渡って果樹園の主任管理者を務めた。桃の品種改良にも努め、「白桃」種や「大久保」種を発見。これらは太平洋戦争中から戦後にかけて我が国における桃の主要品種となり、岡山を桃の一大生産地に押し上げる原動力となった。また、噴霧器や剪定鋏を発明し、農具改良にも貢献。没後、桃の新品種育成功労者として日本園芸会から表彰された。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報