大人は判ってくれない(読み)おとなはわかってくれない(その他表記)Les Quatre Cents Coups

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大人は判ってくれない」の意味・わかりやすい解説

大人は判ってくれない
おとなはわかってくれない
Les Quatre Cents Coups

フランス映画。1959年作品。監督フランソワトリュフォー。トリュフォーの長編デビュー作にしてヌーベル・バーグを世に知らしめた記念碑的作品。即興的な演出と、手持ちカメラでドキュメンタリーのようにとらえられたパリの街のみずみずしさは、時代を経ても色あせない魅力を放つ。1959年のカンヌ国際映画祭にフランス代表として正式出品されて大反響をよび、最優秀監督賞を受賞した。自身が不良少年だったトリュフォーの思い出に基づいた自伝的な物語で、主人公の少年アントワーヌ・ドワネルはトリュフォーの分身である。この少年は以後『二十歳の恋』(1962)、『夜霧の恋人たち』(1968)、『家庭』(1970)、『逃げ去る恋』(1979)という20年間に渡る一連の「ドワネルもの」でトリュフォー映画に登場し、すべてをジャン・ピエール・レオJean-Pierre Léaud(1944― )がドワネルとともに成長しながら演じている。

[伊津野知多]

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改訂新版 世界大百科事典 「大人は判ってくれない」の意味・わかりやすい解説

大人は判ってくれない (おとなはわかってくれない)
Les quatre cents coups

1959年製作のフランス映画。ジャン・リュック・ゴダール監督の《勝手にしやがれ》(1960)と並んでおそらく世界的にもっともよく知られた〈ヌーベル・バーグ〉作品で,フランソワ・トリュフォー監督の長編第1作。オーディションで選ばれた14歳の新人ジャン・ピエール・レオーが,トリュフォーの〈分身〉である主人公のアントアーヌ・ドアネルを演じ,以後も,成長しておとなになっていく主人公を年齢とともに演じ続けていくという映画史上稀有(けう)な自伝的シリーズ(《二十歳の恋》(1962),《夜霧の恋人たち》(1968),《家庭》(1970),《逃げ去る恋》(1978)に至るいわゆる〈アントアーヌ・ドアネル物〉)を形づくることになる。1959年のカンヌ映画祭に,当時の文化相アンドレ・マルローの推薦で出品されて,監督賞を受賞。〈ヌーベル・バーグの父〉ともいわれる映画批評家であり,トリュフォーの親代りだったアンドレ・バザンにささげられている。
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デジタル大辞泉プラス 「大人は判ってくれない」の解説

大人は判ってくれない

日本のテレビドラマシリーズのひとつ放映はフジテレビ系列(1992年1月~3月)。全10回。1話完結のオムニバスドラマ。ストーリーテラーは伊武雅刀。

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世界大百科事典(旧版)内の大人は判ってくれないの言及

【ドイツ零年】より

…1946年に9歳で死亡した長男ロマーノにささげられ,冒頭に,イデオロギーというものは人間生活の基礎を形成する道徳とキリスト教の愛の永遠の戒律から逸脱すれば狂気となるにちがいない,という意味のエピグラフ・タイトルがあるとおり,廃墟と化した第2次世界大戦直後のベルリンを舞台に,ナチのイデオロギーの〈背徳的〉影響を受けた15歳の少年が,病弱な父を毒殺したあげく自殺するいきさつを描く。 だが,敗戦直後のベルリンの社会的現実をとらえ,〈ファシズムの社会的根源〉をさぐろうとしたこの〈抒情的ルポルタージュ〉は失敗に終わり,興行的にも成功せず,以後ロッセリーニは〈ネオレアリズモ〉に背を向けたといわれているが,フランスの〈ヌーベル・バーグ〉への影響は大きく,とくにフランソワ・トリュフォー監督の《大人は判ってくれない》(1959)は,トリュフォー自身も認めるように,《ドイツ零年》のもっとも直接的な血を引く作品である。【柏倉 昌美】。…

【トリュフォー】より

…映画作家・理論家のアレクサンドル・アストリュックは,トリュフォーを〈愛のシネアスト〉と定義した。トリュフォー自身,彼の映画の〈愛〉のモティーフを〈女と子どもと書物〉だと語っていて,たとえば〈女への愛〉は代表作の一つとされる《突然炎のごとく》(1961)や《恋のエチュード》(1971)や《隣の女》(1981)に,〈子どもへの愛〉は最初の長編であり映画史上稀有(けう)な自伝的シリーズ〈アントアーヌ・ドワネルもの〉の第1作ともなる《大人は判ってくれない》(1959)や《野性の少年》(1969)や《トリュフォーの思春期》(1976)に,〈書物への愛〉は《華氏451》(1966)に端的に表れ,そしてそれらすべてを貫いているのが《アメリカの夜――映画に愛をこめて》(1973)で直接的に表現されていたように,〈映画への愛〉といえる。 パリ生れ。…

【ヌーベル・バーグ】より

…58年には14人,59年には22人の新人監督が長編映画の第1作を撮るという,かつてない激しい映画的波動がわき起こり,さらに60年には43人もの新人監督がデビュー,アメリカの雑誌《ライフ》が8ページの〈ヌーベル・バーグ〉特集を組むに至って,世界的な映画現象として認識されることになった。 こうしたフランス映画の若返りの背景には,国家単位で映画産業を保護育成する目的で第2次世界大戦後につくられたCNC(フランス中央映画庁)の助成金制度が新人監督育成に向かって適用されたという事情があるが,その傾向を促すもっとも大きな刺激になったのが,山師的なプロデューサー,ラウール・レビRaoul Lévy(1922‐66)の製作によるロジェ・バディムRoger Vadim(1928‐ )監督の処女作《素直な悪女》(1956)の世界的なヒット,自分の財産で完全な自由を得て企画・製作したルイ・マルLouis Malle(1932‐95)監督の処女作《死刑台のエレベーター》(1957)の成功,そしてジャン・ピエール・メルビル監督の《海の沈黙》(1948)とアニェス・バルダ監督の《ラ・ポワント・クールト》(1955)の例にならった〈カイエ・デュ・シネマ派〉の自主製作映画の成功――クロード・シャブロルClaude Chabrol(1930‐ )監督の処女作《美しきセルジュ》(1958),フランソワ・トリュフォー監督の長編第1作《大人は判ってくれない》(1959),ジャン・リュック・ゴダール監督の長編第1作《勝手にしやがれ》(1959)――であった。スターを使い,撮影所にセットを組んで撮られた従来の映画の1/5の製作費でつくられたスターなし,オール・ロケの新人監督の作品が次々にヒットし,外国にも売れたのであった。…

※「大人は判ってくれない」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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