小伝馬町(読み)こでんまちよう

日本歴史地名大系 「小伝馬町」の解説

小伝馬町
こでんまちよう

[現在地名]宇都宮市泉町いずみちよう

南は奥州街道筋の伝馬町、北は餌差えさし町に接する東西町人町。中央に南北に通じる筋違いの小路があり、これが本多正純による付替え以前の日光街道という。初め池上裏いけかみうら町で元和五年(一六一九)町割替えにより、池上裏町の西方が小伝馬町として成立(宇都宮史)。松平忠弘時代の城下図(東大史料編纂所蔵)町名みえる。元禄五年(一六九二)の伝馬町小伝馬町屋敷間数改帳(上野虎四郎文書)では北側に一三軒(うち明屋敷三)、南側に九軒の屋敷がある。


小伝馬町
こでんまちよう

[現在地名]西区新道しんみち一丁目

奉公人ほうこうにん町の南、枝郷えだごう町の北、巾下新道はばしたしんみち町の東、江戸屋えどや町筋によって東西に二分される。小伝馬町は東西約九〇間で、旧藩時代に「伝馬役の馬もちども住しゆえ」(尾張志)名称が生れた。

小伝馬町の二筋北に東西に平行して「大伝馬町」があった。「旧中町と唱ふ、馬持の者こゝに住す、因て名とす。享保年中当町の内に於て芝居興行、御伝馬役銀として運上金上納せし由」(府城志)とある。


小伝馬町
こでんまちよう

上京区黒門通椹木町下ル

南北に通る黒門くろもん通の小伝馬町。平安京の条坊では左京二条二坊一保一町の中央の地で、官衙町の「東宮町」の跡地(拾芥抄)

寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「小伝馬丁」と現町名がみえ、以後この呼称が多く用いられた。町名は聚楽第じゆらくだい華やかなりし頃、各地との間の逓送・運送業務に携わる業者が、この地域に住していたことによる(坊目誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「小伝馬町」の意味・わかりやすい解説

小伝馬町
こでんまちょう

東京都中央区北東端にある地区。正しくは日本橋小伝馬町。東京地下鉄日比谷(ひびや)線が通じる。南方に奥州街道が通り、かつては荷物を運搬する馬と役人が配置され、その人たち(伝馬役)の住んだ町の名で、南に日本橋大伝馬町が接する。現在は繊維関係の問屋街。十思(じっし)公園あたりは吉田松陰(しょういん)や梅田雲浜(うんぴん)ら多くの志士が収容され獄死した伝馬町牢屋敷跡(でんまちょうろうやしきあと)で、公園内に「時の鐘」が保存されている。

沢田 清]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の小伝馬町の言及

【伝馬町】より

…江戸の場合,日本橋近くに三伝馬町があった。江戸府内から五街道にかかる人足,伝馬の継立てを幕府の命により行うという道中伝馬役を負担した大伝馬町および南伝馬町,江戸府内限りの公用の交通,通信に従う江戸廻り伝馬役を負担した小伝馬町である。ほかに大伝馬町と南伝馬町に付属する町として1638年(寛永15)に起立した四谷伝馬町と赤坂伝馬町があった。…

※「小伝馬町」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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