日本儒学(じゅがく)の一派で、江戸時代の前期に現れた山鹿素行(やまがそこう)(1622―85)、伊藤仁斎(じんさい)(1627―1705)、荻生徂徠(おぎゅうそらい)(1666―1728)の3人の学者、およびその系統に属する学者らを総称する名称。実際には前記の三者は、それぞれ独立の学風と学派を形成しており、相互に直接の関連はないので、全体を一つの学派とみなすことは妥当ではないが、三者の学問上の主張には、朱子学を批判して、孔子(孔丘(こうきゅう))を中心とする時代の儒学の古典を、その原文に即して研究すべきことを主張した点など、多くの共通性が認められ、また三者が、ほぼ同時代に新しい主張を掲げて学界に登場した点からも、三者の出現の背後には、なんらかの歴史的必然性があったと考えられ、その意味では、三者が古学派として総称されるのも、理由のあることである。
素行は、自己の学問を「聖学」と称し、同様に仁斎の学問は「古義(こぎ)学」、徂徠のは「古文辞(こぶんじ)学」とよばれる。また、素行の門流が兵学の一派となり、儒学の面での継承者を出さなかったのに対し、仁斎の門流は堀川学派(古義学派)、徂徠のは蘐園(けんえん)学派(古文辞学派)として、それぞれ発展した。仁斎の諡(おくりな)が「古学先生」であったことに示されているように、仁斎や徂徠らの学風をさして「古学」とよぶことは、江戸時代からあったが、三者をあわせて「古学派」と呼称したのは、井上哲次郎著『日本古学派の哲学』(1902)からである。その古学派の歴史的意義については、丸山真男(まさお)が1940年代に雑誌に発表した論文のなかで、素行・仁斎から徂徠に至る思想の歩みを、朱子学に代表される封建的思惟(しい)様式を克服して、近代的な思惟様式への道を開いたものとして位置づけたことが注目される。しかし近年の研究では、単純に近代的とみるよりも、その学問における実証的な研究方法と、それに伴う現実主義的な思考様式とに着目して、古学派の特色をむしろ日本的な儒学である点に求めようとしている。それは、いわば外来思想である朱子学を日本の近世社会に適合させるための努力の成果であって、したがって古学派の学問と思想には、日本人の独創性が発揮されているとともに、日本的な思考の方法が反映されている。とくに徂徠の思想が、賀茂真淵(かもまぶち)や本居宣長(もとおりのりなが)らによる国学の形成に影響を与えたのも、そのためであった。中国においても、清(しん)代に入ると、朱子学を批判して考証学が勃興(ぼっこう)し、この動きには、日本の古学の登場と似ている面があるが、清代の考証学では、朱子(朱熹(しゅき))ら後世の注釈を捨てるかわりに、漢代の古い注釈を重視したのに対し、日本の古学では、いかなる注釈にも頼らず、直接に古典の原文を解釈しようとした点に特色があり、それだけに自由な解釈、すなわち日本的な解釈に傾く可能性が大きかったとみられるのである。
[尾藤正英]
『井上哲次郎著『日本古学派の哲学』(1902・冨山房)』▽『丸山真男著『日本政治思想史研究』(1952・東京大学出版会)』▽『尾藤正英編『荻生徂徠』(『日本の名著16』1974・中央公論社)』▽『吉川幸次郎著『仁斎・徂徠・宣長』(1975・岩波書店)』
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江戸時代の儒学の一学派。山鹿素行(やまがそこう)の聖学,伊藤仁斎の古義学,荻生徂徠(おぎゅうそらい)の古文辞学の総称。3人は朱子学を学ぶ過程でいずれも経書の朱子学的解釈を批判して儒学の古典に還り,それに則っておのおの独自の儒学を形成しようとしたためこの名がある。朱子学への批判と独自の儒学説の形成は,外来思想の儒学を近世社会の特質に適合させる一連の思想的営みであったが,3人の思想はかなり異質である。ただ朱子学の個人主義的・内面主義的性格を排し,個々人の道徳のあり方を社会全体とのかかわりで捉える点で共通の指向性をもつ。
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…闇斎の学風は朱熹→李退渓の系譜を引くもので,価値的観点の強い義理の学であり,その弟子浅見絅斎,佐藤直方を通じて崎門(きもん)学(闇斎学)派という朱子学の一派が形成されてその学統は今日に及んでいる。 ところで日本の儒学の特色の一つは朝鮮の場合のように一つの学派が圧倒的に支配するというのではなく,多様な学派が併存して相互に刺激しあったことにあって,朱子学派の中でも経験主義的性格の濃い貝原益軒,新井白石,ならびに中井竹山・履軒,山片蟠桃らの懐徳堂学派の人々があり,朱子学を批判した者には藤樹の弟子の熊沢蕃山や三輪執斎,大塩中斎(平八郎)らの陽明学派,ならびに陽明学をも含めて宋・明の新儒学を批判してただちに孔孟の学に帰ろうとした山鹿素行,伊藤仁斎・東涯,荻生徂徠,太宰春台らの古学派,ならびに多くの折衷学派,考証学派の人々を生み出している。 このうち最も独創的なのは古学派で,素行においては古学と士道との結合がなされ,仁斎においては《大学》《中庸》のテキスト批判によって朱子の四書中心主義の一角が崩され,《論語》を宇宙第一の書として孟子を通じての論語理解という立場に立って,仁は愛であるという考えの下に〈愛の人間学〉ともいうべき思想が形成された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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