日本歴史地名大系 「大内谷村」の解説 大内谷村おおうちだにむら 鳥取県:日野郡日南町大内谷村[現在地名]日南町茶屋(ちやや)南東流して小濁(こにご)川に合流する大内谷川沿いに位置し、南は細屋(ほそや)村・矢原(やばら)村。北西に山越えして下阿毘縁(しもあびれ)村に至る。享保元年(一七一六)の郷村高辻帳は「ヲヽチダニ」と訓ずる。拝領高は九八石余、本免は五ツ一分。幕末の六郡郷村生高竈付では生高一五一石余、竈数二五。安政四年(一八五七)の切畑帳(日南町役場蔵)によると切畑五反余の高一石余、物成五斗余。「伯耆志」では林八町五反余、家数二三・人数一二五、鑪山として仙木(せんぎ)山があり、産物は砂鉄。藪役一匁が課されていた(日野郡史)。 大内谷村おおうちだにむら 岡山県:英田郡作東町大内谷村[現在地名]作東町大内谷吉野(よしの)川を挟んで豊野(とよの)村の東にあり、東は大聖寺(だいしようじ)村。正保郷帳に村名がみえ、田三九石・畑三二石。元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳では改出高一一石余・開高三石余、村位は下。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by