国指定史跡ガイド 「大分廃寺塔跡」の解説
だいぶはいじとうあと【大分廃寺塔跡】
福岡県飯塚市大分にある寺院跡。726年(神亀3)の創建と伝えられ、筥崎宮(はこざきぐう)の元宮という大分八幡宮の東方約1kmのところにある。塔跡は古くから確認されていたが、礎石が創建当時のままほぼ完全な状態で残っており、奈良時代初期の寺院跡として貴重なことから、1941年(昭和16)に国の史跡に指定された。塔跡は周囲から1mほど高い土壇に、心礎を中心として17個の礎石があり、心礎は花崗岩の上面に円形柱座を造り出し、さらに径約82cm、深さ約9cmの枘(ほぞ)穴があることから、塔は高さ30m余りの三重塔であったと推定。また、柱穴には外側に向けて2本の溝が設けられており、水が溜まるのを防いだのではないかと考えられている。その後の調査で、寺域は南北約94m、東西約102mと推定され、大規模な伽藍(がらん)を有する寺院であったことがうかがえる。また、塔跡近辺から蓮華の文様がほどこされた新羅(しらぎ)系や百済(くだら)系の軒丸瓦(のきまるがわら)や軒平瓦が出土したことから、豊前地域の仏教文化と密接な交流があったと推測できる。JR篠栗線筑前大分駅から徒歩約15分。