大古間宿(読み)おおふるまじゆく

日本歴史地名大系 「大古間宿」の解説

大古間宿
おおふるまじゆく

[現在地名]信濃町大字古間

慶長一六年(一六一一)九月三日、松平忠輝の伝馬宿書出(「松平忠輝老臣等連署状」大古間共有)によって、北国脇往還の宿場として正式に成立。同九月一〇日に屋敷高一二石五斗(年貢三石七斗五升)を免除され、元和七年(一六二一)長沼領主佐久間大膳(勝之)から高銀・夫銀等所役を免許され、慶安二年(一六四九)・天和三年(一六八三)幕府からも諸役免除を受けた(大古間共有文書)。

北の柏原(かしわばら)宿まで六町、途中鳥居(とりい)川の橋があり、野尻(のじり)宿まで一里六町、南の牟礼(むれ)宿(現牟礼村)まで一里三〇町。南小古間村境の小古間川を越えて大古間村に入った地点(信濃町大字古間字一里塚)に一里塚が築かれていた。

宝永八年(一七一一)の柏原村往来諸事控(信濃町誌)によると、柏原宿とは合宿で、月の一六日以降下一五日間、人馬の継立てを行った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報