柏原宿(読み)かしわばらのしゅく

百科事典マイペディア「柏原宿」の解説

柏原宿【かしわばらのしゅく】

近江国坂田郡の宿名で,古代の東山道中世東海道近世中山(なかせん)道要所宿駅の機能があった。現滋賀県山東町(現・米原市)域で,北の伊吹山地,南の鈴鹿山脈に挟まれ,西は琵琶湖を経て畿内に通じ,東は不破(ふわ)関を抜けて東国に出る位置にある。1085年に柏原荘が山城醍醐(だいご)寺領としてみえ,1180年平知盛の東征軍に対して美濃源氏5000騎が柏原に参陣している(《玉葉》)。1190年には源頼朝が宿陣を構えて,初上洛に向かっている(《吾妻鏡》)。1332年には後醍醐天皇に従った北畠具行(ともゆき)が鎌倉に送られる途次,当地に拠城を構えていた佐々木道誉佐々木高氏)に斬られている。1479年当時は関が置かれて,関銭を徴収していた。1589年豊臣秀吉は京都方広寺の大仏建立のため6000余人を動員して柏原までの木材の宿送りを命じている。江戸時代には市場町・今川町・東町などから構成され,本陣脇本陣,人馬継問屋場,旅籠屋などが置かれていた。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版「柏原宿」の解説

かしわばらのしゅく【柏原宿】

中世では東山道の,近世では中山道の宿駅名で,現在の滋賀県坂田郡山東町柏原にあたる。伊吹山地と鈴鹿山脈との地峡部にあり,東国に抜ける際の不破関の手前の宿駅であることから,軍事・交通上の要所であった。早くは源平内乱期の1180年(治承4)平知盛の東征軍に対して美濃源氏5000騎が柏原に出向いたことが《玉葉》にみえる。また90年(建久1)源頼朝が初上洛のとき,ここに宿陣したことがうかがわれる。さらに,1332年(元弘2)後醍醐天皇に従い元弘の乱を起こした北畠具行は,鎌倉へ送られる途中ここで佐々木道誉に斬られた。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

今日のキーワード

クライマックスシリーズ

日本のプロ野球で、年間の優勝チームを決定する日本シリーズ(日本選手権シリーズ試合)への出場権をかけ、セントラル・リーグとパシフィック・リーグそれぞれの公式戦(レギュラーシーズン)上位3チームが争うプレ...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android