大垣湊(読み)おおがきみなと

日本歴史地名大系 「大垣湊」の解説

大垣湊
おおがきみなと

[現在地名]大垣市船町

ふな町にあった水門すいもん川の河港。船町湊ともいう。水門川の運輸業は慶長六年(一六〇一)船町を開いた木村与次右衛門が姉婿長八とともに小舟水運を始めたのが最初とされる。慶長末期には長八・与次右衛門・善太郎・作蔵・権八が共同で倉庫を建て、初めて船問屋を開いた。元和期(一六一五―二四)萩原はぎわら(現揖斐郡池田町)の番右衛門・木戸きど村重助・赤坂あかさか村弥平兵衛が移住し運輸業を始め、大垣藩主松平忠良は弥平兵衛に船問屋を命じた。元和六年には杭瀬くいせ川から城下への水路久瀬くぜ川が開削された。大垣の船町役船は、寛永三年(一六二六)将軍徳川家光上洛の際に町船一四艘に御用を命ぜられたのが最初で、その手当は一〇石積を一人役とし、一人役一日分扶持米一升と菜代銀五分が与えられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報