大塚観瀾(読み)おおつか かんらん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大塚観瀾」の解説

大塚観瀾 おおつか-かんらん

1761-1825 江戸時代中期-後期儒者
宝暦11年4月8日生まれ。大塚精斎の子。京都で宇井黙斎(もくさい),のち大坂で山口剛斎らにまなぶ。寛政5年日向(ひゅうが)(宮崎県)高鍋(たかなべ)藩校明倫堂の教授となった。文政8年9月20日死去。65歳。名は静氏。字(あざな)は子倹。通称太一郎。別号に梅楼,拙斎など。著作に「本藩実録」「蛍雪録」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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