大塚鉄軒(読み)オオツカ テッケン

20世紀日本人名事典 「大塚鉄軒」の解説

大塚 鉄軒
オオツカ テッケン

明治・大正期の教育者,政治家 天城中学校長;岡山県議。



生年
安政4年12月28日(1858年)

没年
大正7(1918)年10月7日

出生地
備中国(岡山県高梁市)

本名
大塚 香

旧姓(旧名)
三浦

学歴〔年〕
小田県師範学校〔明治8年〕卒

経歴
備中松山藩の藩校有終館に学び、廃藩後は進鴻溪・鎌田玄溪に師事した。明治8年に小田県師範学校を卒業し、小学校訓導となる。12年岡山県児島郡の大塚家の養子となり、のち養家を継いだ。16年に岡山県会議員となり、以来、死去するまで連続して8回当選、この間に同議長を2回務めた。その一方で教育事業にも力を注ぎ、明治36年関西中学校の第6代校長に就任。同校長在任中には、関西中学校附設教員養成所・岡山医学専門学校予備門・関西中学天城分校などの創立にも関与し、41年天城分校が正式に天城中学校として認可を受けると、その校長を兼任した(のち天城中学校長専任)。漢学に精通し、漢詩人としても一家を成した。著書に「鉄軒存稿」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大塚鉄軒」の解説

大塚鉄軒 おおつか-てっけん

1858*-1918 明治-大正時代の教育者。
安政4年12月28日生まれ。明治16年岡山県会議員。36年関西(かんぜい)中学(現関西高)校長となる。39年関西中学天城分校(現倉敷天城高)を開設し,校長。おおくの漢詩をのこした。大正7年10月7日死去。62歳。備中(びっちゅう)(岡山県)出身。小田県師範卒。旧姓は三浦。名は香(かおる)。字(あざな)は子方別号東麓など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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