大墓別符(読み)おおつかべつぷ

日本歴史地名大系 「大墓別符」の解説

大墓別符
おおつかべつぷ

宮崎郡内に所在した豊前宇佐宮領の庄園。現大塚おおつか町を中心とする一帯に比定される。大基別符(建久図田帳など)大塚別符(永徳四年五月一〇日「今川了俊安堵状写」伊東文書)とも記される。安元二年(一一七六)二月日の八幡宇佐宮符写(奈多八幡宮縁起私記)に大墓とみえる。宇佐大鏡によると、面積は起請定田二五町であった。建久図田帳には二〇町と記されている。当別符の成立過程は宇佐大鏡にはつまびらかでないが、横山系図(内藤家文書)によれば、武蔵国横山党の出身で宇佐大宮司の娘を母とする良賢が、嘉保二年(一〇九五)祖父の下に来て養子となり、日向国宇佐宮領の惣収納使職に任じられていたが、康和元年(一〇九九)に祖父大宮司の宛文を得て当別符および生野うりゆうの別符を開発したという。宇佐大鏡によれば、当別符は一一世紀後期から一二世紀前期にかけて在任していた大宮司公順の私領とされていることから、この記述はおおむね妥当と思われ、その際柏原かしわばる別符などと同様に浮田うきた庄から分出した可能性が考えられる。当別符は公順から妻惟宗氏(井手口殿、尼御前)に譲られ、惟宗氏の養孫である公通に譲与された。宇佐宮に対して所当例済物として重色米五〇石を納め、それ以外の軽色布などは免除されていた(宇佐大鏡)。安元二年の前掲宇佐宮符写によれば、当別符は浮田庄柏原別符とともに六年に一度の宇佐宮行幸会の際の綾御船水手を一人割当てられ、四月一五日までに参勤させることを命じられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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