大多尾村
おおだおむら
[現在地名]新和町大多尾
小宮地村の東に位置し、八代海に面する村。慶安四年(一六五一)の肥後国大道小道等調帳(県立図書館蔵)に「大田尾村之内雨告船着西北風ニ船百艘程懸ル」とあり、天草有数の良港であった。古墳時代終末期の天神山墳墓群がある。応長元年(一三一一)八月一四日付の尼めうしやう避状案(志岐文書)によると、本砥の百姓在家らの配分を尼妙性と志岐氏との間で行っているが、そのなかに「をゝたを」の地名がみえ、当地の百姓を両方より召使うことなどを定めた。
大多尾村
おおたおむら
[現在地名]河内町大多尾
三ノ岳山系の東麓に集落が点在し、北から東は万楽寺村・太郎迫村・龍福寺村(現北部町)、南は東門寺村・野出村に接する。慶長九年(一六〇四)九月の検地帳によれば、田方はなく、畠方三六町八反四畝余、分米一三四石八斗余とある。同一三年の畠方検地帳によれば、五七町一反七畝余、分米二八四石八斗余で、家数九八・竈数三五、男六〇・女四一、馬七・牛一五とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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