日本歴史地名大系 「大宝村」の解説 大宝村だいほうむら 長崎県:南松浦郡玉之浦町大宝村[現在地名]玉之浦町大宝郷(だいほうごう)玉之浦の南東方にあり、南東部も海に臨む。南の大宝崎の沖に美郎(びろう)島がある。遣唐使船をはじめ中国大陸への渡海地として知られ、地名は八世紀の創建とされる大宝寺に由来するという。中世には玉之浦氏の勢力下にあったが、同氏は江戸時代にも五島氏(宇久氏)の家臣として継続した。福江藩領玉之浦掛に属する。慶長国絵図に「大宝寺」とみえ、高六六石余。慶安二年(一六四九)の肥前国道法帳によれば「大宝村」内に一里山が築かれていた。万治二年(一六五九)の惣高積之帳に玉之浦領大宝村とあり、正保国絵図の高一五〇石余、今高二八三石余。 大宝村だいほうむら 茨城県:下妻市大宝村[現在地名]下妻市大宝大宝沼(糸繰川)東岸の台地上にあり、北は北大宝(きただいほう)村。永仁五年(一二九七)閏一〇月一三日の大仏宗宣袖判下文(大宝八幡神社文書)に「常陸国下妻庄内大宝郷」とあり、下妻庄に含まれていた。平安末期から鎌倉初期にかけては下妻広幹・小山朝政の支配下にあり(吉記、吾妻鏡)、一三世紀末から大仏氏、室町中期から多賀谷氏領となり、慶長六年(一六〇一)同氏改易後は天領となる。のち村の一部は土井利益(のち古河藩主)領を経て(寛文朱印留)、天領・旗本領となり、他は寛永一九年(一六四二)以後城廻(しろめぐり)村多宝(たほう)院や大宝八幡神社などの寺社領となる(同書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by