大山上村(読み)おおやまかみむら

日本歴史地名大系 「大山上村」の解説

大山上村
おおやまかみむら

[現在地名]篠山市大山上

大山中村の西に位置し、大山川が流れる。中世大山庄のうち。八束穂田坪やこほだつぼ大嘗祭の抜穂の式が行われた地で、承保元年(一〇七四)大江匡房が「ちはやぶる神田のさとのいねなれば月日とともにひさしかるべし」と詠んでいる(千載集)。その地は神田こうだ里とよばれ、江戸時代にも除地であった。慶長一三年(一六〇八)の多紀郡桑田津之国帳に「大山之内上村」とみえ、高七五三石余。寛永一三年(一六三六)追入おいれ町との間で山役の負担額をめぐって争論となり、大山中村の仲介で落着、当村分が四七五文とされた(西尾家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む