デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大山庄大夫」の解説 大山庄大夫 おおやま-しょうだゆう 1808-1866 江戸時代後期の武士。文化5年生まれ。出羽(でわ)鶴岡藩(山形県)藩士。藩主酒井忠器(ただかた)に重用され,江戸留守居役,用人などをつとめる。文久2年隠居したが,酒井右京らと公武合体を主張して藩政改革を画策。藩内の佐幕派により捕らえられ,慶応2年11月13日自刃(じじん)。59歳。名は安直。通称は別に佑輔。号は鶴陵。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「大山庄大夫」の解説 大山庄大夫 没年:慶応2.11.13(1866.12.19) 生年:文化5(1808) 幕末の出羽庄内藩(山形県)藩士。酒井右京らと共に公武合体論を主張。第2次長州征討での幕府軍の敗北ののち,自己勢力の低下を恐れた松平権十郎,菅実秀らの佐幕派により弾圧を受け,自刃。翌年9月,死体が斬に処せられた。この事件は大山騒動といわれ,長く真相は秘されていた。 (井上勲) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by